remcat: 研究資料集

(TANAKA Sigeto)

妊孕性の知識に関する多言語国際調査の濫用

「卵子の老化」キャンペーンの引き金となったのは、2009-2010年にカーディフ大学と多国籍製薬会社メルクセローノがおこなった国際調査International Fertility Decision-Making Study (IFDMS) でした。調査の結果、妊娠・出産に関する知識を測った点数 (Cardiff Fertility Knowledge Scale: CFKS) の日本の値が低かったため、世論の注目を集めるきっかけとなりました。

IFDMSの結果が学術論文として世に出たのは2013年のことです [9]。しかしそれ以前からこの調査結果はマスメディアに流れ、政治的に利用されてきました。2011年2月には研究チーム代表者Jacky Boivinが来日、メディアと国会議員に向けて講演をおこないました [1]。その後、新聞、雑誌 [10]、テレビ [5] などがIFDMSをとりあげます。その結果、日本は妊娠・出産に関する知識が乏しい社会だとする認識が広がりました。

IFDMSは国政にも影響を及ぼします。2012年、野田聖子議員が国会の質問主意書 [11] でこの調査結果に言及しました。2014年には、齊藤英和 (国立成育医療研究センター医師) が、「新たな少子化社会対策大綱策定のための検討会」会合において、図1を使って報告をおこないました [12]。この図はIFDMSの結果を報告した英語論文 [9] からの複製ですが、齊藤はそこに日本語で「日本はトルコの次に知識が低い」などの説明を加え、「妊孕性の知識教育が必要である」と訴えました。このような意見にしたがって、日本政府は学校教育に妊娠・出産に関する知識を導入しました。2015年の「少子化社会対策大綱」[8] においては、このような知識に関する数値目標を、IFDMSに基づいて定めています。

図1: IFDMSによるカーディフ妊孕性知識尺度 (CFKS) の国・男女別平均値


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新たな少子化社会対策大綱策定のための検討会 (第3回) 齊藤英和委員資料 [12] から複製

http://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/meeting/taikou/k_3/pdf/s2-1.pdf

しかしその後の研究によって、IFDMSにはつぎのような欠陥があったことが判明し、その結果は信頼できないことがわかっています [13] [14]。

  • 国によって対象者の集めかたがちがうため、比較可能な結果にならない
  • 調査票の翻訳プロセスがいい加減である
  • 英語以外の調査票はプリテストを受けていない
  • 日本語調査票にはつづり間違いや不自然な文が多い
  • 男性回答者に「あなたが妊娠してないのは……が理由」といった質問をするなど、項目の選択が不適切
  • CFKS項目のほとんどで和訳が不適切
  • CFKS項目の質問順が日本語版と英語版でちがう
  • CFKS合計スコアの統計的信頼性が低い
  • 調査票などの資料が公開されていないので、研究が再現できない

にもかかわらず、この調査の結果は、信頼できる科学的な根拠であるかのようなあつかいを受けてきました。IFDMSに関する疑義の声がはじめてあがったのは2015年のこと [15] ですが、そのときにはすでに、日本人の妊娠・出産に関する知識は世界的に最低レベルだという自己認識が日本社会に定着してしまっていました。

([ ] 内の数字は文献番号です http://tsigeto.info/18l#bib 参照。)

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「妊孕性の知識に関する多言語国際調査の濫用」『2010年代日本における「卵子の老化」キャンペーンと非科学的視覚表象』, 3ページ