『東北大学文学研究科研究年報』75号に、論文「Was Japan's cluster-based approach toward coronavirus disease (COVID-19) a fantasy?: Re-examining the clusters' data of January-March 2020」を掲載した。
- 田中 重人 (2026)「Was Japan's cluster-based approach toward coronavirus disease (COVID-19) a fantasy?: Re-examining the clusters' data of January-March 2020」『東北大学文学研究科研究年報』75:96-83. http://tsigeto.info/26a
東北大学の機関リポジトリ TOUR には2026年3月30日に掲載 (https://hdl.handle.net/10097/0002007628)。
もともとは 2022年の関西社会学会で発表 したものの一部で、その翌年にいったん プレプリントとして公表 している。その内容をさらに改善し (結論はおなじだがデータと解釈が多少変化している)、記述を増やしたのが今回の論文である。
検討対象である「クラスター対策」とは、日本の新型コロナウイルス感染症対策専門家会議 (以下「専門家会議」と呼ぶ) が 2020年5月29日の「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」 で言い出したもので、複数の感染者に共通する感染源をさかのぼり調査によって特定することにより、1か所で起きた大規模感染の探索に特化した接触者調査方法のことである。論文では、専門家会議メンバーであった尾身茂と押谷仁の 6月1日の記者会見で使用したスライド を参照している。
https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000635891.pdf
―――――
Shigeru Omi + Hitoshi Oshitani (2020-06-01) Japan's COVID-19 response (Press conference on the situation of the COVID-19 by related ministries of Japan). (p. 6)
文章による説明としては、コロナ対策担当大臣であった西村康稔による 英語記事 がわかりやすい。
The bulk of infections can be traced to a small number of “super-spreading events.”
......
Because Covid-19 is a disease that spreads along relatively small numbers of superspreading transmission chains, if you can isolate these chains or prevent them from forming, transmission of the virus isn't sustainable.......
https://www.wsj.com/articles/how-japan-beat-coronavirus-without-lockdowns-11594163172
Japanese health experts recommended a special kind of contact tracing called “retrospective tracing.” This approach differs from standard methods that focus mainly on the period after a patient contracted the disease. With retrospective tracing, health workers try to ascertain a patient's movements and interactions before they became infected. By mapping them and cross-referencing them with those of other infected people, tracers can identify common sources of infection – the people and places behind an infection cluster.
―――――
Yasutoshi Nishimura (2020-07-07) How Japan beat coronavirus without lockdowns: a focus on contact tracing and 'cluster busting' has allowed us to avoid harmful economic restrictions. Wall Street Journal.
〔強調 は引用者による〕
彼らのいう「クラスター対策」あるいは「さかのぼり」(retrospective) 調査とは、要するにこういうことである:
- 新しい感染者を見つけた場合、その人が 感染した 可能性のある期間 (感染させた可能性のある期間*1 ではない) の行動歴を調べる。
- すでに見つかっている ほかの感染者たちの行動歴と照合 して、おなじ時間、おなじ場所での行動がなかったかを確認する。
- 共通した行動があれば、その時間にその場にいた他の者について、調査を網羅的に実施 する。
- この調査対象者が感染していた場合には、その者を隔離する。
この説明が嘘八百であることは、すぐに見当がつく。なぜなら
- 別々に見つかった感染者の共通感染源の調査で大規模感染を特定した例など、聞いたこともない
- 接触者調査の標準的マニュアルであった「積極的疫学調査実施要領」に、そんなことは書いていない
- そもそも、大規模感染で生じたとされる感染者は少数派である
からだ。
とはいえ、専門家会議の説明は嘘だったと確実に論証しようとすると、これがけっこう骨が折れるのである。保健所はあくまでも各自治体の指揮下にあるので、中央で定めたマニュアルを守る義務はない。したがって、マニュアルを無視してさかのぼり調査に力を入れていた保健所があっても不思議はない。また、詳細があまり知られていない大規模感染 というのもあり得るし、そこからさらに大規模な感染ネットワークが広がっていてそれを一網打尽にすれば大きな抑止効果があった、というような筋書きも、いちおう考えられないわけではない。確実な結論を得るには、結局、すべての大規模感染について、実際のところどうだったか、いちいち裏をとらなければならないのである。
この論文では、2020年3月末までに発見されていたクラスター (1箇所での接触歴が確認されている5人以上の感染者の集団) について、
- その感染が起きた場所に保健所がどうやってたどり着いたか
- そのクラスターからつながった感染者ネットワークの規模
を、当時の政府発表、自治体発表、報道、学術論文などから調べる方法をとった。これを地道にやって得たデータが、研究成果の本体である。どういう資料を集め、データをどう集計したかについては、論文本文と補足資料 を参照。
結論は、さかのぼり調査で特定したクラスターは3つしかなく、それに関連して見つかった感染者数も77人 (3月末までの感染者数の4%) しかないので、感染状況の大勢にはほぼ影響していない、ということである。感染力のある患者を診断して伝染を防ぐという役割を果たしていたのはさかのぼり調査ではなく前向きの (つまりはごく一般的な) 接触者調査であるし、そうして見つかった感染者の多くは大規模感染に関連していない。大規模感染が起きてからさかのぼり調査でそれを発見して一網打尽にしていたという専門家会議の説明は的外れもいいところであり、実際には前向きに感染のネットワークをたどることで、大規模感染が起こる前に感染者を隔離してしまう、というのが、多くの保健所のとっていた接触者調査の方針だったということになる。
https://tsigeto.info/26a
―――――
田中重人 (2026) Was Japan's cluster-based approach toward coronavirus disease (COVID-19) a fantasy?: Re-examining the clusters' data of January-March 2020. 東北大学文学研究科研究年報 75 (p. 88)
というわけで、「クラスター対策」は実態のない作り話だった、と考えておいてまず間違いない。そうすると、
- そんな作り話を、誰が、何のために、いつ考えたのか
- 実行される可能性はあったのか。あったとすれば、なぜ実行されなかったのか
- もし「クラスター対策」が実行されていたとしたら、効果はあったのかなかったのか
といったあたりが謎としてのこる。これらについては、考察中、ないし別稿を準備中である。一部は昨年3月に研究会で講演しているので、とりあえずはそちらを:
- 田中重人 (2025-03-16)「数年前のことを描きなおす:新型コロナウイルス感染症「クラスター対策」の虚構」日本学研究会 第6回学術大会 (東北大学) 基調講演 http://tsigeto.info/25z
*1: 感染させた可能性のある期間についての調査は「前向き」(prospective) 調査と呼ぶ。


