remcat: 研究資料集

(TANAKA Sigeto)

専門家の嘘と戦う方法

専門家・政府・メディアの責任

非科学的知識の広がりと専門家の責任: 高校副教材「妊娠のしやすさ」グラフをめぐり可視化されたこと では、専門家 (産婦人科医) の責任を中心にとりあげました。記事の最後からふたつめの段落ではつぎのように書いています。

一方で、専門家の側からは、この事件についての説明は、これまでのところおこなわれていない。日本生殖医学会は、2015年9月に、副教材のグラフについて使用を推奨するとの理事長コメント(苛原 2015)を出している。また、前述の要望書を出した9団体は、この問題を追及してきた「高校保健・副教材の使用中止・回収を求める会」の質問書に対し、副教材の訂正後のグラフ(Wood (1989) などによる22歳ピークのグラフ)は「適切なグラフ」であり、IFDMSの結果利用も「適切である」とする回答を寄せている(西山・柘植 2017: 60-74)。しかし、これらの研究の妥当性についての具体的な疑問点には言及がなく、なぜ「適切」といえるのかの根拠は不明のままである。
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田中 重人 (2017) 「非科学的知識の広がりと専門家の責任: 高校副教材「妊娠のしやすさ」グラフをめぐり可視化されたこと」『学術の動向』22(8). 22ページ.

http://doi.org/10.5363/tits.22.8_18

このように専門家側の態度はひどいものでした。一方で、 【解題】 で書いたように、文献を読んで評価する仕組みがきちんとはたらいていれば、この問題は止められたはずのものです。そこに関しては、政府やマスメディアの側にも責任があるというべきでしょう。そして、政府もマスメディアの態度も、専門家と同様にひどいものでした。

内閣府:担当B氏
〔……〕
〔……〕グラフに誤りがあったことを申し訳なく思っております。今、文部科学省さんと、正誤表の対応をお伺いしているところでございまして、けっして意図的に改竄したものではないということはご理解をいただけるかと存じます。正誤表の正しいものとして掲載しましたグラフにつきましては、国際的に評価の定まった学術雑誌に掲載された論文からのものでございまして、信頼性は高いものという認識でございます。また有識者も、「問題はない」ということで聞いております。また、引用の表記についても問題はないという認識でおります。
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高校保健・副教材の使用中止・回収を求める会 (2015)「文部科学省『健康な生活を送るために(高校生用)』平成27年度版についての質問に対する文部科学省・内閣府担当者からの回答」(2015年9月28日会合記録). 4ページ

https://fukukyozai.jimdo.com/app/download/10272092983/Answers_cabinetoffice_mext.pdf

これは、「妊娠のしやすさ」改竄グラフが掲載された高校保健副教材について、市民団体 (高校保健・副教材の使用中止・回収を求める会) メンバーが文部科学省・内閣府担当者と面談したときの、内閣府からの説明です。グラフの誤りについては謝罪しているものの、結局のところは

国際的に評価の定まった学術雑誌に載ったものであれば、たとえ学界で既に否定されている研究であっても、利用してかまわない。引用の際に孫引きで変な解釈をつけても問題はない。「意図的」でなければ改竄もOK。

という見解になっています。(ちなみに、文部科学省の定めた 「研究活動における不正行為への対応等に関するガイドライン」(2014) では「研究者としてわきまえるべき基本的な注意義務を著しく怠ったことによる、投稿論文など発表された研究成果の中に示されたデータや調査結果等の捏造、改ざん及び盗用」を「特定不正行為」にふくめています (10ページ)。意図的でなくても改竄は成立するというのが標準の考えかたです。)

さらに、2015年10月2日、有村治子内閣府特命担当大臣は記者会見でつぎのように述べています:

高校生の副教材ということでございますけれども、そのときの妊娠に関するグラフに誤りがございました。これは縦軸と横軸のプロットの場所が誤っていたということで、その資料を提供した方、既に報道でお名前が出ていますが、誤解を招かぬようにという観点から申し上げれば、その有識者は吉村泰典氏、元日本産科婦人科学会理事長でございます。
 御本人からは、これを申し上げる前からですね、私が大臣室にお呼びをいたしまして、なぜこうなってしまったのかの経過を、私自身がやはり責任を痛感しておりますので、しっかりと御本人から聞いて、そして陳謝を御本人もされていました。大変申し訳ないということで、文部科学省に対しても申し訳ない思いを持っておられましたので、私から厳重注意ということを、かなり早い段階で厳しくさせていただいております。
〔……〕
責任の所在という意味では、担当大臣としての私が明確におわびをしておりまして、文部科学省にも申し訳ないということで謝罪を表明しております。また、皆様にも御心配をおかけしたことを申し訳なく思っておりますので、それによって新たな資料、訂正資料を配布していただくことになりましたし、責任という意味では私が取らせて、内閣府の皆さんと共に取らせていただきたいというふうに思っておりますので、チェックをした方というのは特段、公表は考えておりません。
 なぜかというと、十分にその責任は果たしていきたいと我が方も明確に申し上げておりますし、その方々を明確にすることによって、セカンドオピニオンとか、あるいは政府に協力、協力というのは専門的な提供をしていただくということが委縮してしまってはいけないということで、そもそもの資料のデータが正確ではなかった、資料提供された方の名前を明確にさせていただくということで、その制裁はなされているものと理解いたしております。
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有村内閣府特命担当大臣閣議後記者会見要旨 平成27年10月2日

http://www.cao.go.jp/minister/1412_h_arimura/kaiken/2015/1002kaiken.html

経過を本人から聞いたというのですが、その聞き取った内容は、今日まで公表されていません。この状態で責任は大臣と内閣府が取るといわれても、まず真実をあきらかにせよ、としかいいようがないでしょう。結局、大臣は辞職しなかったし、吉村泰典は現在も内閣官房参与をつづけています。

マスメディアに関しては、IFDMS のあつかいが問題でした。https://remcat.hatenadiary.jp/entry/20171217/professional で指摘したように、まだ論文がどこにも出ていない (したがって研究内容がチェックされていない) 2011年段階での売り込みに対し、批判的な観点をまったく持たないまま、研究グループの宣伝に乗っかってしまったのです。特にNHKは、質問項目の紹介に手を加え、違和感を持たれにくい表現にして使っていました (http://tsigeto.info/16z) から、単にIFDMS研究グループに乗せられたということにとどまらない、明確な共犯関係がありそうです。IFDMSの問題点が指摘されたあともNHKは間違いを認めていませんし、2016年7月になってディレクターが こんな記事 を書いたりしています。

専門家 (集団) との戦い

このように、でたらめな研究成果の情報が、どこの段階でもチェックを受けないまま、あたかも「科学的」な知見であるかのように社会に流通し、世論や政策を決める力を持ってしまっているわけです。これは非常に困ったことです。専門家の嘘に対抗して社会を守るには、どうすればいいのでしょうか。

本来であれば、政府やメディアの内部で、文献をきちんと読んで評価する仕組みをきちんとはたらかせるべきです。現在の日本社会では、大学院博士課程を修了し、十分な訓練を受けた研究者 (の卵) で職を探している人がたくさんいるので、人材の供給が足りないということはないはずです。問題は、政府やメディアの側に、そういう人材を雇って育てていく仕組みがないということなのでしょう。

もっとも、文献を読める人がいればニセ科学にだまされないですむのかというと、そんなことはないでしょう。すでにみてきたように、実際に根拠となる文献をあげて間違いを指摘したからといって、その指摘が受け入れられて間違いが訂正されるわけではありません。一般的な感覚では、専門家にしたがうことこそが「科学的」なのであって、専門家の主張が嘘であること (それにしたがうのは非科学的であること) を納得してもらうのはすごくむずかしいのです。

おそらく、まず必要なことは、どのような場合に専門家 (の集団) の言っていることを「嘘」だと考えるべきなのか、その基準をつくって共有することです。とりあえず私が持っている基準は、つぎのようなものです。

専門家やその集団の発言が信頼できるかどうかは、文献を網羅的にレビューした結果にもとづいて決めるべきである

これはもちろん、公共の意思決定の場合のことに限ります。これが個人的な意思決定であれば、自分の信頼する専門家がそう言っていたから、ということでじゅうぶんでしょう。なんなら、占いの結果がそう出たから、でもかまいません。しかし、公共の場所で――たとえば学校で何を教えるかについて――意思決定するのであれば、それについてどのような文献があるかを網羅的に調べ、評価するプロセスを経なければなりません。

「妊娠のしやすさ」グラフの例でいえば、産婦人科の医師やその団体がそれを推奨する意見書を出してきたからといって、それを採用してはならないのです。根拠はあくまでも文献のレビューによるべきです。そして、実際に文献をレビューしたところによれば、結論は明白だったわけです。

科学とニセ科学の境界

私たちの社会で「科学」と呼ばれる制度は、一般に、つぎのような特徴を備えていることになっています。

  • 研究成果についての自由な相互批判が活発におこなわれる
  • 研究成果とその批判の履歴が、じゅうぶんな精度をもって文献に記録され、公開されている

このふたつの条件こそが、科学を科学たらしめているものです。相互の容赦ない批判がおこなわれることで、ダメな研究成果は淘汰されていくと期待することができます。そしてそれが文献に記録されているからこそ、後からレビューした人がダメなものはダメだと判断することができるのです。

ここで注意すべきなのは、「自由な相互批判が活発におこなわれる」というのは、「科学である以上はそうであらねばならない」という、いわば建前だということです。「科学」と呼ばれる制度が本当にすべてそのような性質を備えているかどうかは、また別の問題です。上記の専門家の態度のひどさを考えれば、産科・婦人科・生殖医学の領域では、自由で活発な相互批判などというものは存在しない可能性が高いでしょう。その場合、本来は科学とは言えないようなもの (=ニセ科学) が、実際には「科学」と呼ばれており、社会制度上そのようにあつかわれているだけだ、ということになります。

また、相互批判が活発におこなわれているとしても、それは学界内部の話です。学界の外ではそんなことは普通はありません。素人相手で誰も反論してこないような状況であれば、専門家がデタラメを放言することの歯止めは、本人の良心以外には何もないのです。

もし専門家の言説を信用できるとしたら、それは、科学内部での相互批判に耐えて生き残った研究成果に限られます。文献レビューは、学界の外部にいる素人がそのような成果にアクセスする唯一の手段です。そしてそれは、「科学」と呼ばれている制度が本当にその名に価するかを判断する唯一の手段でもあるのです。