今日の東京新聞ウェブサイト (TOKYO Web) にこんな記事が載っていた:
少子化対策の重要な指標の一つ「合計特殊出生率」の公表値が、実態より過大であることが分かった。基となる厚生労働省の統計の対象が「日本における日本人」で、外国人の女性は計算に入らないのに、国際結婚で生まれた日本人の子は入っているためだ。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/260366
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東京新聞「合計特殊出生率 実態は公表値よりもっと低かった…専門家が「信じられない」統計手法とは」(TOKYO Web 2023年7月2日 06時00分)
うん。まあそれは専門家なら誰でも知ってる話である。そういう計算式であることは以前から公表されていて、この50年間一貫してるのだから、それで計算した結果が何を意味してるかについてちゃんと議論すればよかろう。
これ自体はそういうことなのだが、その後に掲載されている厚生労働省と国立社会保障・人口問題研究所の専門家のコメントが大嘘であった。
厚労省の担当者は「人口動態統計は、出生率に限らず婚姻や死亡など全ての事象で日本における日本人を対象にしている。計算式は一度も変わっておらず、途中で変えれば比較できなくなる」と説明する。
国立社会保障・人口問題研究所(社人研)情報調査分析部の別府志海第2室長は「おそらく統計が始まった明治期に、根拠となる戸籍法の対象が日本人だったため日本人に限定した集計にしたのだろう」と推察する。
合計特殊出生率については「計算方法が考えられた戦後期は外国人の割合がわずかだったが、時代が変わって無視できる範囲を逸脱してきた」と指摘。「外国の統計で一部の人口に限定したものしかないというのは見かけない。外国人を含む総人口で出すのが望ましいと思う」と話した。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/260366
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東京新聞「合計特殊出生率 実態は公表値よりもっと低かった…専門家が「信じられない」統計手法とは」(TOKYO Web 2023年7月2日 06時00分)
この件は、2015年のはじめごろに『人口問題研究』バックナンバーをひっくり返して確認したので、よく覚えている。合計特殊出生率 (TFR: total fertility rate) ――当時は「粗再生産率」と呼ばれていた―― の計算式は、1971年分から変更されている のである。
『人口問題研究』の人口再生産指標記事
『人口問題研究』は、1939年に設立された国立の研究所「厚生省人口問題研究所」が1940年に創刊した雑誌である。層が決して厚いとはいえない日本の人口学研究の成果をまとめて読める雑誌として知られている。同研究所が社会保障研究所と合併して「国立社会保障・人口問題研究所」となった後も、現在まで継続して出版されている。非常に感心なことに、この雑誌は、早い時期 (たぶん2003年?) に創刊号以来のすべての号を電子化しており、研究所サイトで無料で読める (ときどき欠けている論文はある)。
- 『人口問題研究』創刊以来のバックナンバー: https://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/sakuin/jinko/jsakuin1.htm
この雑誌には、研究論文以外にいろんな人口学/人口統計関係の情報が載る。そのなかで、出生に関する人口指標が1年に1度掲載されるのが「全国人口の再生産に関する主要指標」(ちょっとちがうタイトルになっていることもある) という記事であり、1967年の104号 (1965年分データ) 以降毎年つづいている。それ以前も、すこしちがうかたちで人口再生産指標の記事がときどき載っていた。古いものとしては、64号 (1956年) 75-97頁に「統計」という記事があり、その85頁の表「女子の年齢別特殊出生率」で、大正14年 (1925年) から昭和29年 (1954年) までの合計特殊出生率 (Σ の行) がわかる。
https://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/14207005.pdf
それ以降、2014年分までの当該記事へのリンクは https://remcat.hatenadiary.jp/entry/20150207/fertility にまとめてある (英語である)。
1971年分からの計算式変更
この一連の記事のうち、1968年分データについての計算結果が載った1970年の記事 (116号60-66頁) に、つぎの注釈がある。
なお,厚生省統計調査部においては,昭和42年以降,人口動態統計に関する諸率の算出に当たり,分母人口を,従来用いてきた外国人を含む総人口から日本人人口に置き換えて算出するようになった.分子である人口動態数が日本人に関するものなのでその方が適当であるわけで,ここに示す諸指標も近い将来それにあわせる予定である.ちなみに,日本人人口を分母にした場合の率は,総人口を分母にして算出した率よりもわずかずつであるが高く現れる.
https://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/14212206.pdf
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山口喜一「全国人口の再生産に関する主要指標: 昭和43年」『人口問題研究』116: 60-66 (1970).
60頁脚注2。
この注釈から、つぎのことが読み取れる:
- 厚生省は、昭和41年 (1966年) までは「外国人を含む総人口」を分母として、「人口動態統計に関する諸率」を計算してきた
- しかし昭和42年 (1967年) 以降、厚生省は「日本人人口」のみを分母として、「人口動態統計に関する諸率」を計算するようになった
- 人口問題研究所の専門家も、「日本人人口」のみを分母とする後者の方法のほうが「適当である」と判断した
- この時点では、人口問題研究所が算出する数値は「外国人を含む総人口」を分母としたものである
- しかし、近い将来、人口問題研究所も、「日本人人口」のみを分母とする方法に変更する予定である
- その場合、「外国人を含む総人口」を分母として計算した数値よりもわずかに高くなる
私は厚生省が発表する数値や文書までは追っていないので、山口の記述が正しいのかどうか、またここでいう「人口動態統計に関する諸率」が合計特殊出生率をふくむのかどうかはわからない。
つぎの年の記事 (山口喜一「全国人口の再生産に関する主要指標: 昭和44年」『人口問題研究』119: 56-62 (1971)) は1969年分のデータをあつかっているのだが、ここにも同様の記述がある。ただし掲載場所は脚注ではなく本文であり、字句がちょっとちがう。
https://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/14212508.pdf
1970年分データについての記事は、すこしおくれて1973年の号に載った。この記事 (野原誠「全国人口の再生産に関する主要指標: 昭和45年」『人口問題研究』126: 44-50 (1973)) にも同様の記述がある (担当者が代わっている)。字句がちょっとちがうほか、最後に「現在その算出作業を行いつつある」とあり、脚注で「昭和45年についての日本人人口を分母にした場合の率」をいくつかの指標について挙げている (計算方法を変えると数値が高くなるという記述はなくなっている)。
https://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/14213206.pdf
そのつぎの年――1971年分――で、予告どおり、計算式が変更される (担当者がまた代わっている)。
なお,人口問題研究所では昭和45年まで,人口再生産諸率の算出に当たり,分母人口に,外国人を含む総人口を用いてきたが,分子である人口動態数が日本人に関するものなので,分母人口として日本人人口を使用する方が妥当なわけで,今回は分母人口として,日本人人口を使用している.したがって,第1表から第3表までの時系列表は昭和45年までと46年とはつながらないことになる (日本人人口を分母にした場合の率は総人口を分母にして算出した率よりもわずかであるが高く現れる).近い将来,45年以前も日本人人口分母にあわせる予定であるが,今回はとりあえず,昭和45年について,総人口分母と日本人人口分母との両方を掲げてある.
https://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/14213407.pdf
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金子武治「全国人口の再生産に関する主要指標: 昭和46年」『人口問題研究』128: 59-65 (1973).
59頁
同記事60ページ以降の第1表、第2表、第3表には、最下部の「46 1971」の行の直前に「(日本人)」という行が挿入されており、「46 1971」よりも少しずつ低い値になっている。たとえば第2表「粗再生産率」(Toral fertility rate = 合計特殊出生率) の値は、「46 1971」の行では2.16であるが、「(日本人)」の行では2.13である。逆じゃないのか?
つぎの1972年分になると、過去のデータ (昭和22=1947年以降) も「日本人人口を分母」にして再計算した値に差し替えられている。
なお,人口問題研究所では昭和45年まで,人口再生産諸率の算出に当たり,分母人口に,外国人を含む総人口を使用してきたが,分子である人口動態数が日本人に関するものであり,分母人口として日本人人口を使用する方が妥当なわけである.したがって,昭和46年から分母人口として,日本人人口を使用しているが,45年以前についても,戦後,昭和22年より,分母人口を日本人人口に置きかけて算定したので,その結果を掲載してある.
https://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/14213707.pdf
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金子武治「全国人口の再生産に関する主要指標: 昭和47年」『人口問題研究』131: 47-63 (1974).
59頁.
〔「置きかけて」は原文どおり〕
この131号記事とその前の128号記事の第2表で、合計特殊出生率 (粗再生産率) の再計算によって生じた差をみると、おおむね0.01程度である。ただし、0.03の差が生じている年が2か所ある。1949年 (4.29→4.32) と1971年 (2.13→2.16) である。
議論
というわけで、人口問題研究所が計算する数値に関しては、1970年代前半に意図的に計算式を変更したのはあきらかである。戦後から変えていないというのは、事実に反する。
なお、現在、国立社会保障・人口問題研究所が発行する 『人口問題資料集』2023年改訂版 IV. 出生・死産 表4-3に載っている合計特殊出生率の値も、1940年以降に関しては、この 131号記事 の第2表に載っていたものとおなじ数値である。つまり、わざわざ過去にさかのぼって計算しなおした数値に差し替えて、それ以前に発表していた、総人口を分母にした数値はなかったことにしたのである。しかしそれは、歴史上の事実として、日本人人口だけを分母にした計算式をずっと使ってきたということを意味するものではない。
一方で、厚生労働省の言い分に関しては、ちょっとよくわからない。私は『人口問題研究』の記事しかみていないので、「厚生省統計調査部においては,昭和42年以降,人口動態統計に関する諸率の算出に当たり,分母人口を,従来用いてきた外国人を含む総人口から日本人人口に置き換えて算出するようになった」という 116号記事 の記述が正しいのか判断できないからである。人口問題研究所が何かまちがった情報をつかまされただけで、厚生省は以前から日本人人口を分母とした率しか計算していなかったのかもしれない。また、「人口動態統計に関する諸率」のなかに合計特殊出生率をふくむのかどうかもわからない。
ともかく、当時の『人口問題研究』の記事 (として研究所がウエブサイトに掲載している電子ファイル) にそう書いてあるのだから、まずそのことを前提にして議論するべきものではある。
東京新聞への意見投稿
以上のようなことを踏まえて、東京新聞に意見を送ってみた:
7月2日 06時00分「合計特殊出生率 実態は公表値よりもっと低かった…専門家が「信じられない」統計手法とは」
記事中に、厚労省担当者と専門家の説明で「計算式は一度も変わっておらず」「統計が始まった明治期に、根拠となる戸籍法の対象が日本人だったため日本人に限定した」とありますが、それは事実に反します。1970年以前、厚生省人口問題研究所の雑誌『人口問題研究』が毎年掲載していた合計特殊出生率(当時はそう呼んでいませんでしたが)ほかの人口再生産指標は、国籍を問わない日本在住女性人口を使用したものでした。分母を日本人女性に限定するよう計算方法が変更されたのは1971年です。そのあと、1974年に、新定義に合わせて過去データを計算しなおした表が『人口問題研究』131号に載っています:
http://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/14213707.pdf
(最初の頁の説明の最後の部分と、第2表「年次別女性の人口再生産率:大正14年~昭和47年」の第1列「粗再生産率」を参照)
なお、その前に1970年分のデータの計算結果を出した時の記事 (『人口問題研究』126号(1973年)) に事情説明が書いてあります (最初の頁の説明の最後の部分と脚注2):
https://www.ipss.go.jp/syoushika/bunken/data/pdf/14213206.pdf
このあたりのことは、8年ほど前に一度調べてまとめています (英語しかありませんが):
https://remcat.hatenadiary.jp/entry/20150207/fertility
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東京新聞ウエブサイト https://www.tokyo-np.co.jp/toiawase_f の「お問い合せフォーム>Web記事について」から投稿 (2023-07-02 17:40 ごろ)
「変更されたのは1971年です」というのはちょっと変で、正しくは「変更されたのは1971年分からです」と書くべきだったと思う (実際にその作業がおこなわれたのは1973年ごろ)。
つづき:
人口動態統計における出生率等の計算式の1967年変更
https://remcat.hatenadiary.jp/entry/20230705/vital1967
履歴
- 2023-07-02
- 記事公開
- 2023-07-05
- 「つづき」追加