remcat: 研究資料集

(TANAKA Sigeto)

人口動態統計における出生率等の計算式の1967年変更

前回記事「合計特殊出生率の計算式の1971年変更について」で書いたつぎの問題について、図書館で人口動態統計関連資料を確認してきた。

私は『人口問題研究』の記事しかみていないので、「厚生省統計調査部においては,昭和42年以降,人口動態統計に関する諸率の算出に当たり,分母人口を,従来用いてきた外国人を含む総人口から日本人人口に置き換えて算出するようになった」という 116号記事 の記述が正しいのか判断できないからである。人口問題研究所が何かまちがった情報をつかまされただけで、厚生省は以前から日本人人口を分母とした率しか計算していなかったのかもしれない。
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田中重人 (2023-07-02)「合計特殊出生率の計算式の1971年変更について」

https://remcat.hatenadiary.jp/entry/20230702/tfrdef

結論からいうと、人口問題研究所がガセネタをつかまされていたとかいうことはなかった。厚生省 (当時) の『人口動態統計』報告書をみるかぎり、「分母人口を,従来用いてきた外国人を含む総人口から日本人人口に置き換えて算出するように」する変更が、1966年 (昭和41年) 分と1967年 (昭和42年分) との間で起きている。

1966年報告書

まず1966年 (昭和41年) 分に関する報告書をみよう。ここで「1966年」というのは、1966年に起きた出生や死亡などがこの報告書であつかわれるという意味である。実際に計算がおこなわれるのは1967年以降のことであり、報告書の刊行日付は、2年以上たった1969年2月28日となっている。なお、以下の引用は東北大学附属図書館所蔵の冊子体によるが、読者の便宜のため、国立国会図書館デジタルコレクションへのリンクを示す。

まず、各種比率の計算式を書いた部分。


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厚生省 (1969-02-28) 『昭和41年人口動態統計 (上下2冊) 上巻』厚生統計協会。
44頁。〔赤線は引用時に付加したもの〕

https://dl.ndl.go.jp/pid/3048831/1/25

もうこれを見た時点で、ダメな感じである。これらの式を見る限り、「年央人口」(7月1日の人口) で割っているようにしか読めない。しかし実際には、人口動態統計で使っているのは10月1日の人口である。そういう事情を知らない人が読んだら誤解する書きかたになっているのだ。利用者に情報を正確に伝えようという意思のないことが感じられる。

が、7月1日か10月1日かということは別として、ここで使われているのが単なる「人口」であり、国籍等の限定がついていないことはわかる。

つぎのページには、ほかの指標についての式も載っている。


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厚生省 (1969-02-28) 『昭和41年人口動態統計 (上下2冊) 上巻』厚生統計協会。
45頁。〔赤線は引用時に付加したもの〕

https://dl.ndl.go.jp/pid/3048831/1/25

合計特殊出生率の算出に必要になる、母親の年齢別出生率は、ここで定義されている。性別の限定 (「女子」) はついているものの、国籍は限定されていないことがわかる。なお、注で「総数」とか「45才以上」といっているのは、報告書の掲載表のなかにそういう行があり、ちょっとイレギュラーな処理をしているので、それらが何を意味するかについての注釈。

1967年報告書

つぎの年 (1967=昭和42年) 分の報告書で、定義が変わる。この報告書の刊行日付は、1970年3月30日。


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厚生省 (1970-03-30) 『昭和42年人口動態統計 (上下2冊) 上巻』厚生統計協会。
40頁。〔赤線は引用時に付加したもの〕

https://dl.ndl.go.jp/pid/9528287


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厚生省 (1970-03-30) 『昭和42年人口動態統計 (上下2冊) 上巻』厚生統計協会。
40頁。〔赤線は引用時に付加したもの〕

https://dl.ndl.go.jp/pid/9528287

「10月1日現在」と書くようになって、そこは改善されている。

そして、「人口」ではなく「日本人人口」となっているので、国籍による限定が加わったことがわかる。しかし、変更したということについての断り書きは特にないので、前年の報告書と照合してよく見ないと、変更があったということ自体がわからない。*1 また、旧来の方法で計算した参考値を示すとか、過去の値についてさかのぼって再計算するとかいうこともされていない。*2

なぜ変更したのか

さて、1967年分から人口動態統計の計算式が変わっていたことは確認できた。つぎの疑問は、なぜこの年に変えたのか? である。上記のように、報告書には何も説明はないのだが、推測できる要因はある。それは、総理府統計局への最新技術導入による国勢調査の集計迅速化である。

統計局に大型計算機が初めて導入されたのは一九六一年のことであり、これは中央政府機関としては気象庁に続いて二番目であった。ついで一九六四年には光学読み取り装置 (OCR) が導入され、一九六五年〔国勢〕調査からは、従来のパンチカード方式に代わって、光学読み取り方式による集計方法が採用された。
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佐藤正広 (2015)『国勢調査 日本社会の百年』岩波書店 ISBN:9784000291613
137頁。〔 〕は引用時に補ったもの。

国勢調査は日本居住者全員について調べる全数調査であり、5年に一度おこなわれる。この調査が日本の人口の正式な公表値になるのだが、なにしろ対象者数が多いので、集計には大変な手間がかかる。1960年の国勢調査の場合、年齢別・国籍別の人口を掲載した報告書 (第3巻全国編その1) が出たのは1964年2月25日のことであった。それが、コンピュータ技術の導入により、つぎの1965年国勢調査では、同様の数値 (第3巻全国編その1) が1967年5月5日に刊行されている。

1960年国勢調査までは、調査が完了してから、日本人のみの人口がわかるデータが出るまでに3年以上かかっていたわけである。これを待っていたのでは、人口動態統計の公表期日に間に合わない。国籍を区別しない総人口の数値はもっと早く入手できるので、そちらを使わざるをえなかったのだろう。

技術革新によって国勢調査の集計作業がスピードアップし、1965年調査では、日本人に限定した年齢別人口が1967年前半にはわかるようになった。厚生省は、この状況を見て、日本人に限定した人口データが手に入るまで待っても公表期日にじゅうぶん間に合うと判断したのではないか。それで、1967年分の人口動態統計の計算 (実際に作業をおこなうのは1968年以降) から、国籍の限定がつくことになる。実際に使用したのは、おそらく、この1965年の人口にその後2年間の変動分を加減した1967年10月1日現在推計人口である。

議論

以上のように、人口動態統計における出生率などの数値は、1967年分から、日本人人口を分母に使う計算式に変更されていた。したがって、前回記事 で引用した 東京新聞の記事 に載っている厚生労働省担当者のコメント「計算式は一度も変わっておらず」は、事実に反する。また、「途中で変えれば比較できなくなる」は命題としては正しいが、実際に 途中で計算式を変えて比較できなくしたのは厚生労働省の前身組織であった厚生省自身 なのだから、どの口がそれをいうのか、という話である。厚生労働省のいうことは信用してはならないという前例が、またひとつ積みあがったことになる。

もっとも、この担当者は、意図的に嘘をついたわけではないのかもしれない。上記のように、過去の報告書においても、計算式を変更したということ自体は説明されておらず、当時の報告書を引っ張り出してきて前年度報告書といちいち数式を突き合わせて変更点を確認しないと、いつどのような変更がなされたかを追跡できない状態である。たぶん当時においても、計算式を変更したという事実は周知されず、変更したことによる統計への影響の検討などもおこなわれなかったのだろう。上述のように、この変更は総務省統計局がコンピュータ等を導入して国勢調査の集計スピードが上がったからだろうと私は思っているのだが、実際の変更のいきさつや理由がどうだったかについての記録は、どこにも残っていない可能性がある。件の担当者は、過去に計算式を変更したという事実を本当に知らなかったのではないか。

前回記事 で検討した人口問題研究所の対応は、これにくらべるとずいぶんましではある。研究所が発行する雑誌に毎年載せる定例の記事において、変更の3年前から予告をおこない、変更した当年については過去との比較のために従来の方法で計算した参考値を掲げ、さらに翌年には過去にさかのぼって新計算式を適用した値を公表している。現在の人口統計資料集などで私たちが見る「合計特殊出生率」の値はこうして改算した値であり、過去からの連続性は確保されているはずである (日本人人口の信頼できる値が入手できる1940年代以降に限る)。さらに、それらの雑誌記事は電子化バージョンが公開されているので、バックナンバーをたどっての検証が簡単にできる。もしこのような記録を人口問題研究所がきちんと残して公開してくれていなかったら、私もこの事実にたどり着けなかっただろう。

とはいえ、人口問題研究所 (現国立社会保障・人口問題研究所) においても、この計算式変更という歴史的事実は忘れられている。東京新聞の記事 でコメントしている別府志海第2室長は、2011年分以降現在までの「全国人口の再生産に関する主要指標」をずっと担当してきている人である。この「全国人口の再生産に関する主要指標」では、過去にさかのぼっての長期的な趨勢に必ず触れる。10年以上やってきて、自分があつかっている過去の統計について、当時の状況を一度も調べなかったのだろうか?

このように、過去の歴史を軽視する、あるいは未来に向けて記録を残すことを軽視するのは、厚生労働省の統計業務では日常茶飯的にみられる。今回のようにたまたま報道された場合には、多くの人の目に触れて問題になる。その極端な事例が2019年に問題化した毎月勤労統計調査の一連の不正だったのだけれども、それで担当者たちが反省しておこないをあらためるようなことにはならなかった。毎月勤労統計調査では、不正が問題化した後の2019年以降にも、推計方法を説明なく変更していたことが、報告書を突き合わせるとわかる (https://remcat.hatenadiary.jp/entry/20220806/wg5plus 参照)。おそらく、勝手に集計方法を変更してそのことを説明せずに済ませる事例は、毎年のように、いろいろな統計で起きているのだろう。

2007年に改正された統計法では、公的統計は「国民にとって合理的な意思決定を行うための基盤」だということになっている。その前提の上に立って、同法は「公的統計の体系的かつ効率的な整備」を進めるとしている。実際、「政府統計の総合窓口」(e-Stat) での集計表の公開や ミクロデータの利用 などについては、近年大きく前進してきたといっていいだろう。

しかしそれで公開が進んだのは、出来上がった数値の羅列としてのデータだけである。そのデータがどのようにしてつくられたのかという最も大事な情報は、あいかわらずほとんど公開されていないか、公開されてもアクセスしにくいところに置かれている。実際にアクセスできたとしても、眼を皿のようにして文章や数式の変化を追わないと、いつどこでどういう変更がおこなわれたかということ自体を知ることができない。そして、担当者は事実を調べもせずに (あるいは事実は承知した上で) 事実とちがう説明を平然とおこなうのである。


*1: 過去の値を掲載した時系列表のほとんどは、1967年だけが日本人人口による率で、それ以外は総人口によっている。つまりそのまま数値を比較してはいけないのだが、しかし各表にはそのような注釈はなく、基礎人口に関する表2「年次・性別人口」(231頁) の備考欄をみなければそのことはわからない。ただし、そのあとの表3 (232-233頁) に、いくつかの年次について「換算係数」が示されているので、それをかけることで比較可能な数値に換算することはできる。【この注、本記事公開後に追加:2023-07-05 18:50】

*2: 例外は母の年齢別出生率で、5歳刻みの年齢層について日本人人口のみで求めた数値が表4.10 (61頁) に示されている。ただし全部の年次ではなく、一部のみである。また、1966年の報告書に載っていた1歳刻みの年齢別出生率は、この1967年報告書には載っていない。【この注、本記事公開後に追加:2023-07-05 18:50】