remcat: 研究資料集

(TANAKA Sigeto)

「日本のCOVID-19対応における多義語「クラスター」の用法: 2020年の記録」出版のお知らせ

『文化』(東北大学文学会発行の学内誌) 86巻3/4合併号に、論文「日本のCOVID-19対応における多義語「クラスター」の用法: 2020年の記録」を掲載した。

  • 田中 重人 (2023)「日本のCOVID-19対応における多義語「クラスター」の用法: 2020年の記録」『文化』86(3/4): 239-219, 208. http://tsigeto.info/23a

『文化』は縦書き (右→左) の論文と横書き (左→右) の論文が両方載る関係上、右→左に振ったページ番号と左→右に振ったページ番号があり、しかも前者については通巻と号ごとの2種類がある (つまり3種類のページ番号が共存している) というややこしいことになっている。上記のページ範囲 (239-219, 208) は通巻の右→左ページである (208は英文抄録のページ番号)。

東北大学の機関リポジトリ TOUR https://tohoku.repo.nii.ac.jp で公開されるはずであるが、9月18日まで新規登録が停止 しているため、しばらくかかる見込みである。その代わりに、印刷版PDFファイルを http://tsigeto.info/Tanaka-2023-Bunka.pdf で公開している。
東北大学の機関リポジトリ TOUR には2023年11月16日に掲載されました (http://hdl.handle.net/10097/0002000300)。 [2024-03-09 追記]

1ページ目にとんでもないまちがいがある (私の責任ではないが)。

内容は、日本の新型コロナウイルス感染症 (COVID-19) 対応において重要な役割を果たした語「クラスター」について、その意味の変遷を、出現当初から約1年間 (2020年2月から2021年1月まで) 追ったものである。おおむね、2020年5月までを「第1波」、6月から9月を「第2波」、10月以降を「第3波」と区分して、それぞれの期間の政府文書やマスメディア記事などを収集し、「クラスター」ということばがどのように使われているのかを調べた。特に、政府内の専門家の会議 (新型コロナウイルス感染症対策専門家会議、厚生労働省新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボード、新型コロナウイルス感染症対策分科会など) の記録において、「クラスター」の用法が第1波→第2波→第3波とどう変化してきたかを中心に検討している。

内容の要約

当ブログで2020年末から2021年初にかけて書いた一連の記事がベースである。ただし、この当時 (第3波真っ只中) にはまだよく見えていなかった事柄もあり、その部分の考察を補足した内容になっている。

「クラスター」の3つの意味の登場とその後の変遷について簡単に書くと、つぎのような感じになる。

3つの「クラスター」

意味A: ひとりから大勢への感染

「クラスター対策」が打ち出されたころに盛んに喧伝されたのが、COVID-19感染者のほとんどは2次感染を引き起こしておらず、ごく少数の感染者が大規模な感染を引き起こして流行を拡大させているのだ、という仮説である。しばしば「8割は人にうつさない」と形容される怪しげなグラフが引用される (そのグラフが「8割は人にうつさない」説の根拠にならないということは https://remcat.hatenadiary.jp/entry/20200403/80pct ほかで論じてきた*1 が、それは今回の論文には直接関係しない)。

このプロパガンダに引っ張られて、ひとりから多数への感染が起きたケース (いわゆる「スーパースプレッダー」による感染) を「クラスター」という、と理解されていることが多い。私も当時はそういう理解であった。しかし、実は、政府の文書で明文でそう説明した事例はみあたらない。唯一存在するのは、「クラスター対策班」発足当時に厚生労働省が発表した文書の中にあった、つぎのような図だけである。


―――――
厚生労働省 (2020-02-25)「新型コロナウイルス クラスター対策班の設置について」 https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_09743.html

https://www.mhlw.go.jp/content/10906000/000599837.pdf

図からは、ひとりから大勢への感染を「クラスター」、そこで感染した人がまた多くの感染を生じさせることを「クラスターの連鎖」といっているように読みとれる。しかし、この文書の文章自体には、そのような定義はない。

政府の外での専門家の文書としては、日本公衆衛生学会感染症対策委員会 (委員長として前田秀雄、委員として押谷仁の名前がある) による「クラスター対応戦略の概要」(3月10日) がある。

感染者のごく一部が2次感染者を数多く生み出すという、いわゆるクラスター(患者の集積)の発生が、流行につながっていると考えられる。逆に、新たな場所にウイルスが入り込み、家族内感染や医療従事者への感染などの2次感染が起きても、一定規模のクラスターさえ起きなければ、そのような感染連鎖の R0は1未満なので、そのような感染連鎖は継続できず、消滅していくことになる。
―――――
日本公衆衛生学会感染症対策委員会 (2020-03-10)「クラスター対応戦略の概要」(3月10日暫定版).
2ページ。

https://www.jsph.jp/files/docments/COVID-19_031102.pdf

この記述に関しては、「感染者のごく一部が2次感染者を数多く生み出す」ことを指して「クラスター」と定義しているものといちおうは考えることができる。ただし、この前には「感染者が誰から感染したのかをはっきりと認識できていない例が多く見ら〔れ〕、そのことにより感染源を認識できないままに感染連鎖が継続すると、感染連鎖を検出することは困難になる」という記述もある。また、つぎのページには「クラスターの感染源となったイベントや会合の参加者全員に、症状の有無を問わずに自宅待機を要請することが原則となる」ともある。これらを考え合わせると、「クラスター」の字義的な定義としては「感染者のごく一部が2次感染者を数多く生み出す」ことであったとしても、実際にこの文書全体を通読した読み手がイメージするのは、誰から誰に感染したかはよくわからないが、特定のイベントや会合で感染した可能性が高いことは推測できる、というような状態であろう。感染力の高いスーパースプレッダが、家庭・職場・交通機関・飲食店・小売店のような日常的に立ち寄る場所のあちこちで感染を引き起こすような状況は、この文書からは想定しにくい。

これ以外には、ひとりから大勢への感染という意味で「クラスター」を定義しているケースは、政府や専門家が2020年2-3月に発表した文書には、発見することができなかった。おそらく、この意味の「クラスター」は、政府によるCOVID-19対応の実際の場面では、ほぼ使われることがなかったのではないか。

意味B: 感染の連鎖

一方で、感染対策の最前線である保健所においては、まったくちがう「クラスター」定義が使われれている。大雑把に言うと「感染の連鎖」を「クラスター」と呼ぶ用法で、これは流行のごく初期 (2020年2月27日) から2023年に至るまで、一貫して使われてきたものである (多少の文面の変遷はある)。

「患者クラスター(集団)」とは、連続的に集団発生を起こし(感染連鎖の継続)、大規模な集団発生(メガクラスター)につながりかねないと考えられる患者集団を指す。
―――――
国立感染症研究所 感染症疫学センター「新型コロナウイルス感染症患者に対する積極的疫学調査実施要領 (暫定版):患者クラスター(集団)の迅速な検出の実施に関する追加」(2020年2月27日版). https://www.niid.go.jp/niid/ja/diseases/ka/corona-virus/2019-ncov/2484-idsc/9357-2019-ncov-02.html
2枚目

https://www.niid.go.jp/niid/images/epi/corona/2019nCoV-02-200227.pdf

この2月27日の「積極的疫学調査実施要領」、日本語版だけ読むとわけがわからない (https://remcat.hatenadiary.jp/entry/20201216/cluster#niid 参照) のだが、同日に作られた英訳版はつぎのようになっている。これとあわせると、意味が確定できる。

A “cluster (population) of patients” is a population of patients that may continuously cause outbreaks (continuation of a chain of infection), leading to a large outbreak (mega cluster).
―――――
国立感染症研究所 感染症疫学センター「Manual for active epidemiological surveillance of patients with novel coronavirus infection (provisional version): addition for the implementation of rapid detection of clusters (populations) of patients」(2020年2月27日版英訳)
2枚目

https://www.niid.go.jp/niid/images/epi/corona/2019nCoV-02-200227-en.pdf

日本語版で「連続的に集団発生を起こし(感染連鎖の継続)」となっている部分は、英訳版では「a population of patients that may continuously cause outbreaks (continuation of a chain of infection)」のようになっている。つまり、連続的に集団発生を起こす (continuously cause outbreaks) というのは可能性についての表現 (may) なのであり、すでに集団発生 (outbreaks) を起こしたことを示すのではない。ここで言おうとしているのは、患者からの感染がつぎつぎ引き起こされて患者が増えていく状態 (感染連鎖の継続) であればいつでも集団発生 (outbreaks) やメガクラスター (mega cluster) が起きうるのだから、そのような可能性のある感染連鎖を「クラスター」と呼んで監視対象としましょう、ということである。

実際、「積極的疫学調査実施要領」のなかには、スーパースプレッダーを特定せよというような指示はないし、いわゆる「クラスター対策」で喧伝されたような、大規模な感染が確認されてからの後ろ向き探索で感染源を特定して対応すればよいというトチ狂った戦略 が示されているわけでもない。やるべきことは、すべての感染連鎖 (=積極的疫学調査でいう「クラスター」) について、そこから感染が拡大しないよう、感染している可能性のある濃厚接触者の調査 (=前向きの調査) をもれなくおこなって患者を発見し、治療について手配し、接触歴について調査する――というごく常識的な対策である。*2

意味C: 1か所での多数の感染

これらに対し、「クラスター」の定義として最も人口に膾炙したものは、「1か所での多数の感染」を「クラスター」とするものであろう。この系統の用法と思しきものは、3月初めに新型コロナウイルス感染症対策専門家会議 (以下「専門家会議」と呼ぶ) の出した一般向け文書に出てくる。

一定条件を満たす場所において、一人の感染者が複数人に感染させた事例が報告されています。具体的には、ライブハウス、スポーツジム、屋形船、〔……〕等です。このことから、屋内の閉鎖的な空間で、人と人とが至近距離で、一定時間以上交わることによって、患者集団(クラスター)が発生する可能性が示唆されます。
―――――
新型コロナウイルス感染症対策専門家会議 (2020-03-20)「新型コロナウイルス感染症対策の見解」(3月2日)

https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/newpage_00011.html

ここでは「クラスター」が何であるかについて、はっきりと定義されているわけではない。しかし、特定の空間で生まれる患者集団のことを「クラスター」と呼んでいるので、場所の共通性に着目していることはあきらかであり、その点で、上記の意味A (感染源となった個人の共通性に着目) とも意味B (同一の関連連鎖であることに着目) ともちがっている。

第1波 (2-5月): 「クラスター」概念の創出と拡散

これら3つの「クラスター」の用法 (意味 A, B, C) は、2020年2月末から3月頭にかけてのごく短い期間に生み出された。これらのうち、Aはすぐに使われなくなり、BとCが残った。

感染連鎖を「クラスター」とするBの用法は、保健所がおこなう積極的疫学調査でずっと使われてきた。この文脈で「クラスター」といえば、誰から誰が感染したかという関連によってつながった感染者のネットワーク (=感染連鎖) を指す。また、「クラスター対策」といえば、感染者の濃厚接触者をたどった調査 (=前向き調査) によって感染者あるいはその疑いのあるものを探し出し、治療や健康観察や隔離などの措置をおこなっていく、再帰的な感染者対策をいう。

専門家の文書 (たとえば押谷仁がおこなった日本公衆衛生学会の研修会の資料) や新型コロナウイルス感染症対策本部の「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」(2020-03-28) などでも、同様の意味にとれる「クラスター」の定義がある。ただし、これらの文書中で一貫した使われかたをしているかは疑問である。

3月中旬には、この意味Bによって既発見の「クラスター」(=感染連鎖) を数え上げ、日本地図上に都道府県別にプロットした「全国クラスターマップ」を厚生労働省が発表。このころまでは、専門家の間でも、日本政府の見解としても、意味Bが主流になっていたとみることができよう。

しかし、これに大分県が抗議したことで状況が一変する。厚生労働省は この抗議を受けて、クラスターマップをいったん撤回し、意味Cによる「クラスター」(=1か所での接触歴のある5人以上の感染者) のマップに差し替えて公表した。この事件の結果として、意味Cによる「クラスター」用法が覇権を握るとともに、その具体的な基準として「5人以上」の感染者という数的な共通理解が出来上がる。これ以降、日本政府や自治体が一般向けに広報する場においては「1か所で5人以上の感染者」という基準で「クラスター」を識別するようになっていく。(「全国クラスターマップ」騒動については https://remcat.hatenadiary.jp/entry/20210103/vs#mhlw を参照。)

第2波 (6-9月): 「クラスター」の小規模化

以上のように、第1波の中ごろには、「クラスター」といえば「1か所での多数の感染」を指す (意味C)、というのが、(専門家の一部や保健所などの現場の調査活動を除けば) 一般的な認識になっていた。実際、自治体によって発表される「クラスター」の大部分は病院や福祉施設などで長い期間かけて感染が広がったケースだったから、到底「ひとりから大勢への感染」とはいえないものであった。また、複数の場所にまたがって感染が連鎖していた場合には場所ごとに別々の「クラスター」としてあつかわれていたから、「感染の連鎖」をクラスターと呼んでいるわけでないこともあきらかであった。

ところが、第2波に入ると、「感染の連鎖」を指す意味Bが復活してくる。それだけではなく、「1か所での少数の感染」も「クラスター等」と呼ばれるようになって、意味Cを小規模な感染にまで拡張した用法 (意味C') が登場。実際その定義に基づいた統計が政府の会議で資料として使われるようになる。

小規模な感染の連鎖を「クラスター」と呼ぶ用法は、2020年7月30日の厚労省新型コロナウイルス感染症対策アドバイザリーボードの第4回会議 の参考資料「クラスター事例集」に出てくる。これは国立感染症研究所の感染症疫学センター/実地疫学専門家養成コース (Field Epidemiology Training Program: 以下「FETP」と呼ぶ) が作成したもので、後にNHKニュースでも取り上げられている。具体的な事例は https://remcat.hatenadiary.jp/entry/20210103/vs#july に載せている図をみてもらえばいいのだけれど、1か所で1人しか感染していない場合でも「クラスター事例」なのである。

その翌日、7月31日の新型コロナウイルス感染症対策分科会 (以下「分科会」と呼ぶ) の第4回会議資料 には、つぎのような表が「7月のクラスター等発生状況」として載っている。


―――――
新型コロナウイルス感染症対策分科会 (2020-07-31) 第4回会議資料
60枚目

https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/ful/bunkakai/corona4.pdf

これは1か所での感染の事例を数えたものだが、「会食」「職場」の行に注目すると、「1件あたりの人数」が4.0人である。「最大人数」がそれぞれ15人と17人なので、多人数のケースもあるのだろうが、4人未満の小規模感染をふくんでいることはあきらかだ。つまり、第1波のころにあれだけ喧伝した、COVID-19は大規模感染でしか広がらないので大規模感染だけ警戒しておけばよいという「クラスター対策」の主張を引っ込めて、小規模感染も警戒対象にしなければならないという方針転換を図ったわけである。

こうして、政府資料では、小規模な感染をふくめて「クラスター等」として数えるようになった。一方で、自治体の認定するクラスターの基準は、従前のままであった。メディアが感染事例を報道する場合、自治体からの発表に基づくことが多い。結果として、報道を通じてクラスターの具体例として認識されるのは依然として「1か所での5人以上の集団感染」であるにもかかわらず、政府が「1か月に○○件のクラスター等が発生」などというときには小規模な感染もカウントされている、という変則的な状況がこれ以降つづくことになる。

もっとも、このようにちがう基準が共存する状況について、政府は広報をおこなわず、メディアも報道しなかった。このため、個別事例としてとりあげられるクラスターの定義と政府の統計でいうクラスター (等) とのくいちがいが問題になることもなかった。

第3波 (10-1月): 質的把握の重視

政府は小規模感染までふくめてクラスターを数えている、という事実が一般に報じられるようになったのは、いわゆる「第3波」が進行した11月のことである。このあたりのことは https://remcat.hatenadiary.jp/entry/20210108/govcluster#gov 参照。

その前月の10月には、分科会が各自治体からの「クラスター」事例ヒアリングをおこなったり、FETPに「集団感染」事例の資料を求めたりと、感染拡大事例の質的な情報を収集する動きが活発になっていた。その結果として、2021年1月7日に2度目の緊急事態が宣言された際には「感染リスクが高く感染拡大の主な起点となっている場面」(対策本部2021年1月7日「基本的対処方針」) として「飲食」が名指しされ、それを前提とした対策が組まれることになった。

まとめ:「クラスター」用法の変遷

以上の変遷をまとめると、COVID-19第1波序盤で使われ始めた当初の「クラスター」が持っていた「ひとりから大勢への感染」という意味 (A) はすぐに廃れ、「感染の連鎖」(B) および「1か所での多数あるいは複数の感染」(C あるいは C') という意味が生き残ったことがわかる。第1波の後半には、意味Cが、「5人以上」という具体的な基準をともなって覇権を握った。ところが第2波に入ると、より小規模な感染をふくめる意味C' が台頭し、また感染連鎖を指して「クラスター」とする意味Bも復権。第3波までに、それらの複数の意味 (B, C, および C') が併存して使われる混乱状況になっていた。

このような意味変容と混乱の過程は、日本のCOVID-19対応がその重点を変化させてきたことの反映であろう。

2020年2月に政府と専門家が提唱した「クラスター対策」は、例外的に大量の感染を起こす人 (スーパースプレッダー) の存在を前提としたものだった。 スーパースプレッダーは稀にしか出現しないが、いったん出現すると流行を一気に加速させる重大な結果をもたらす。このようなスーパースプレッダーによって引き起こされる、「ひとりから大勢への感染」(=意味Aの「クラスター」) を特に警戒の対象にするため、このことばが焦点化された。

しかし、3月に実際に流行が拡大した時期以降、この意味Aはほとんど使われなくなっていった。それとともに、「クラスター」が当初持っていた、稀であるが重大な結果をもたらすという含意も薄くなり、小規模な感染 (意味C') やそれが多数つながった感染連鎖 (意味B) が「クラスター」にふくまれるようになっていく。この意味でのクラスターは稀なものではなく、また全体的な感染状況を単独で大きく変えるようなものではない。第2波以降の日本のCOVID-19対応は、このような小規模な事例が多数つながることで流行が拡大するというモデルにしたがって組み立てられるようになった。 第1波当初の、大規模な感染が稀に起きることで流行が拡大するというモデルは、事実上放棄されている。にもかかわらず、政府や政府に関連する専門家たちは、当初掲げた「クラスター」という看板を使いつづけた。しかし、そこでの使いかたは、当初のものとは大きくちがう。

第2波、第3波では、自治体からの聴き取り、FETPからの報告、報道された事例などを収集して、対策を打つべき条件を特定することが、「クラスター」ということばを使っておこなわれた。その探索の対象は、感染拡大につながりそうな事例はどういうものが多いかということであり、「クラスター」はそういう可能性のあるものに投網をかけることばだった。「感染事例について教えてください」と訊ねるかわりに「クラスター事例について教えてください」と訊ねたほうが、感染拡大につながりそうなヤバそうな事例を想起してもらえる可能性が高いだろうという程度のことである。ここでは、「クラスター」は警戒すべき対象そのものをあらわすのではなく、警戒対象になりうる事柄の候補をリストアップするための言語的手がかりのひとつに過ぎないものになっている。

解釈

以上が、論文のだいたいの中身である (論文に書いていない情報を補ったところが一部あるが)。分量の制約により、ほぼ資料から確認できることをまとめただけの内容になっている。

さて、ここから先は、論文で書けなかったことを、もうすこし考えてみたい。――なぜ、このような多様な意味をもったことばが、日本のCOVID-19対応のキーワードになったのだろうか? こういう重要なことについて一般向けのメッセージを出す場合には、なるべく誤解の余地のない表現を選んで使うものではないだろうか?

はっきりしていることは、日本のCOVID-19対応における「クラスター」は、登場したいちばん最初のところから多義語であった、ということである。2020年2月25日のクラスター対策班発足の際の文書 (意味A) と、2月27日に改訂された積極的疫学調査実施要領 (意味B) との間には2日しかないのだから。つまり、最初は単一の定義を持つ用語だったものが使っているうちに意味が拡散してしまったというような話ではなく、最初から二枚舌を使い分けるための用語だった ということだ。

ここで思い出しておくべきことは、2020年1月当時、日本政府は感染者をなるべく見つけない方針をとっていたという事実である。COVID-19に感染している疑いがある者として扱われるのは、

  1. 流行地 (当時は中国の武漢周辺のみ) からの入国者で、発熱と呼吸器症状の両方がある場合
  2. 感染が確定した者の濃厚接触者と認定された場合

に限られていた。武漢からの入国者が発熱していた1月中旬のケースでは、(呼吸器症状がないため) 基準にあわないとして、医療機関からのPCR検査の要請を厚生労働省が拒絶している (https://www.asahi.com/articles/ASN466H53N46PLBJ005.html)。1月下旬の、武漢からの団体旅行客が宴会をおこなった屋形船の従業員が肺炎を発症して入院したケースでも、COVID-19の検査はおこなわれなかった (https://www.asahi.com/articles/ASN5G63FRN5BUTIL031.html)。この屋形船の宴会に関しては、実は大量の感染が発生していたらしいことが2週間以上たってからようやく判明した。しかしその頃にはすでに神奈川や東京の病院に感染が広がっており、結果として40人以上が死亡した可能性があることが指摘されている (https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000180769.htmlhttp://doi.org/10.1016/j.ijid.2021.02.065 参照)。

日本政府がこのような方針をとった理由については、いろいろな憶測がある (たとえば日本が流行地だとみなされることによる経済的な不利益を避けようとしたとか、同年開催予定だった東京オリンピックの障害になることを恐れたとか)。どのような解釈をとるにせよ、感染者を早期発見して隔離するのが世界的に標準的な感染症対策だとみなされているなかで、日本のこのような消極的姿勢は異様に映るものであった。これに対して、日本政府は、なにか合理的な理由があってこのような一見不合理な対策をとっているのだという説明を、嘘でもいいから示す必要に迫られていた。

専門家が2月下旬に編み出した「クラスター対策」の説明は、この要求に応えたものといえよう。大規模感染を事後的に発見すればそこから感染の連鎖をたどって流行を抑えることができる。だから、大規模な感染がみつかるまでは待っていてよいのであって、1人2人の感染者をみつけるために貴重な検査資源を浪費するのは馬鹿げたことだ――という理屈になっていたからだ。実際、この説明は、国際的にも国内的にも大した批判もなく受け入れられ、日本は大規模感染の発見を優先した合理的な対策をとった のだ、と多くの人が信じた。

しかし、大規模感染を事後的に見つけることができるのだとしても、発見までの間にすでに多方面に感染が広がっていれば、追跡は困難である。上記の屋形船のケースのように、見逃した感染連鎖があればそこから流行が広がってしまう。大規模感染がわかってから感染連鎖をたどって感染者を網羅的に見つけるのは、実際にはむずかしいのだ。そうすると、そもそも大規模感染が起きないように感染連鎖を事前にストップさせなければならないということになる。COVID-19は大規模感染で広がるという仮説が正しいか正しくないかにかかわらず、個別の症例とそこからの感染連鎖をなるべくたくさん捕捉するという世界標準の対策以外の選択肢は、どのみち存在しないのである。

積極的疫学調査実施要領の「連続的に集団発生を起こし(感染連鎖の継続)、大規模な集団発生(メガクラスター)につながりかねないと考えられる患者集団」というクラスター定義 (意味B) は、まさにこのような発想に沿ったものであった。大規模な感染を起こしたケースをあとから追跡するのではなく、そもそもそういうことが起きないように、感染連鎖を前もって止めなければならない。実施要領では、そのための手順 (検査による感染者の確定や隔離、追跡すべき濃厚接触者や感染源候補の聴き取り調査など) を定めているわけである。そこでは、感染の規模にかかわらず、すべての感染者とその接触歴を、一定の基準で追跡することになる。日本の「クラスター対策」を率いていた押谷仁も、積極的疫学調査を実際に担当する保健師などを対象とした研修資料では、「感染者・接触者・感染連鎖・クラスター連鎖は制御下に置けている限り大規模な地域流行につながらない」ということを「クラスター対策の基本となっている考え方」だとちゃんと書いている (https://www.jsph.jp/covid/files/gainen.pdf)。小規模感染であれば放置してよいなどということはなく、すべての感染者・接触者を発見して制御下に置かなければならない、というのが現場の担当者に向けて語られた「クラスター対策」であった。

このように考えれば、意味Aは実態から乖離した説明を一般向けに展開するため、意味Bは実態に即した説明を現場担当者向けに展開するために創られた ことが理解できよう。大本営発表は一般人に向けたものであって、実働部隊がそれを真に受けて小規模感染の探索を後回しにしてしまうようでは困るのである。

意味Cについては、状況が異なる。この意味での「クラスター」の初出である 2020年3月2日の専門家会議「見解」 では、「一人の感染者が複数人に感染させた事例」に注目する文脈で「クラスター」が使われているので、複数の感染者からの感染が重複して起きるようなケースは念頭になかった可能性が高い。この時点では、専門家たちは意味A (ひとりから大勢への感染) のなかには、それが1か所で起きるケースと、複数個所で起きる (各箇所での感染者数は少ない) ケースがあると認識しており、前者だけに言及するかたちで「クラスター」の用法を制限しようとしたのだろう。そうとすると、意味Aに限定を加えたのが意味Cだと当初は考えていたのであり、多数の固定的メンバーが特定の場所 (典型的には病院や福祉施設) で長期間にわたって日常的に接触を繰り返すことで徐々に広まる感染をふくめる意図はなかった可能性がある。しかし、2020年3月15日に発表した「全国クラスターマップ」(5人以上からなる感染連鎖をとりあげたもの) が 大分県からの抗議を受け、「1か所での接触歴のある5人以上の感染者」のマップに差し替えた こと (3月17日) で、まさにこの意味で「クラスター」を使う用法が定着してしまう。

以上をまとめると、専門家たちが「クラスター」を使いはじめた当初は、「ひとりから大勢への感染」(A) と「感染の連鎖」(B) の間で二枚舌を使い分ける意図はあったといえそうだが、「1か所での多数の感染」(C) をもふくめる意図はなかったのではないか。ところが、自治体からの抗議に迎合したことで、この意味 C が結果として優勢になってしまったと考えることができる。


履歴

2023-09-07
記事公開。
2024-03-09
東北大学機関リポジトリ TOUR に掲載されたことの情報追記。

*1: さらにいうと、日本の第1波で収集されたデータはすべて、発見されたCOVID-19感染者の大半が小規模な感染によるものだったことを示しており、ごく少数の感染者が大規模な感染を引き起こすことで流行が拡大したという仮説を支持するデータはない。http://doi.org/10.21203/rs.3.rs-2647575/v1 の文献レビューを参照。

*2: 後向きの調査 (感染源の探索) もおこなうが、濃厚接触者に関する前向きの調査のほうが優先度が高い。そして実際、後向きの調査で見つかった大規模感染に関連する感染者の数は、当時 (2020年1-3月) みつかった感染者数全体の1割程度に過ぎない (http://doi.org/10.21203/rs.3.rs-2647575/v1)。