remcat: 研究資料集

(TANAKA Sigeto)

「「3密」概念の誕生と変遷: 日本のCOVID-19対策とコミュニケーションの問題」出版のお知らせ

『東北大学文学研究科研究年報』70号に論文「「3密」概念の誕生と変遷: 日本のCOVID-19対策とコミュニケーションの問題」を掲載した。もう2か月近く前の話になってしまったのだが、現物を受け取って写真を撮ったので、ご報告。

田中 重人 (2021)「「3密」概念の誕生と変遷: 日本のCOVID-19対策とコミュニケーションの問題」『東北大学文学研究科研究年報』70: 140-116. http://tsigeto.info/21a

論文本文は、3月15日に http://hdl.handle.net/10097/00130599 で公開されている。文中で参照した資料については http://tsigeto.info/21a#gov からリンクをたどれるようにしてある。

この論文は「3つの密」「3密」という概念 (の元になった発想) の出現から昨年4月までの経過を追ったもの。昨年10月には原稿を公開しており、そのあと若干修正している。執筆過程と過去バージョンについてはつぎのところ参照:

私はここ数年、公開情報を追跡することで時事問題の記録を書きのこす作業をつづけてきた。一昨年は 労働時間等総合実態調査について、昨年は 毎月勤労統計調査について 論文を書いた。今回の論文もそれと同様の手法によるもので、いってみればシリーズ第3作にあたる。「論文」というにはかなり特殊な形態で、学術文献をほとんど参照せず、日本政府のウエブサイト掲載資料などの一般向け情報に依拠している。誰でもアクセスできる公表資料だけでも、大量に集めて丹念に読めば、問題の核心に迫る発見に到達できるのだが、そうした作業を誰もやってくれない。仕方がないので、自分で細々とやっているのである。

「3密」定義とその変遷をもう一度読む

今になってこの論文の紹介を書こうと思ったのには、写真を撮ったから、という以外にもうひとつ理由がある。この4月30日にNHKで流れた「「3密」でなくても集団感染のおそれ」というニュースである。

感染は当初から「3密」の3つの条件がそろわなくても起きるとされていましたが、このところ「密閉」や「密集」といった条件がなくても集団感染したケースが相次いで報告されています。
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NHK NEWS WEB 「「3密」でなくても集団感染のおそれ」 2021年4月30日 18時43分

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20210430/k10013006461000.html

今頃になってこんな報道が、何か新しい情報であるかのように流れるというのは、おかしなことだ。「密閉」や「密集」でない状況で集団感染が発生することは昨年3月後半には政府の諮問委員会で報告されていて、それは日本のCOVID-19対策を大きく転換させる重要な議論だったからである。

そのような議論の結果として2020年4月7日の基本的対処方針で「三つの密」の定義が変更されており、当時の専門家会議も、それにしたがって「3つの密」の定義を昨年4月22日に書き換えていた。専門家会議が当初掲げていた「3つの条件が同時に重なった場」だけを避ければよいという方針はこの時点 (つまり今から1年以上前) において破棄されており、これ以降、「3密回避」といえば、「密閉」「密接」「密集」の どれかひとつでも存在する状況を回避する、という意味になったはずなのである。

本来であれば、この変更は、きわめて大きな意味を持つはずのものであった。それまで、政府と専門家は、3条件が重なった特殊な状況だけを避けるように要請していた――言い換えれば、3条件が重ならなければ従前の生活をそのままつづけてよいといっていた――のだから、180度の大転換である。

 3条件の重なった場を避けるよう要請するということは、裏を返せば、それ以外の場は避ける必要はないということになる。実際、「3つの密」をまず使ったのは、「密を避けて外出しましょう!」キャンペーンだった。感染を過度に恐れて活動を制限するのではなく、ほとんどの活動は従来どおりでいい。たとえば友人を集めてのパーティーも、少人数でやるか、換気を徹底するか、屋外開催ならOK。問題がある活動も、工夫してどれかの条件をクリアすれば実施できる。そういうメッセージを「3密」は創り出した。これは、専門家が当時喧伝していたCOVID-19対策の「日本モデル」――クラスター対策と市民の行動変容に力点を置き、社会・経済機能への影響を最小限としながら感染の拡大を防止する――の趣旨にも合致していた


〔……〕


 専門家たちが感染拡大防止のために「3密」回避を勧めた理屈は、3条件がそろわなければクラスターはめったに発生せず、クラスターが発生しなければ感染は拡大しない、という2重の仮説 (押谷 2020: 35) に基づく〔……〕3条件が重ならない活動はクラスターをほとんど発生させず、感染拡大に寄与しない――だからそのような活動を回避する必要はない――というところが「3密」仮説の肝だった。
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田中 重人 (2021)「「3密」概念の誕生と変遷: 日本のCOVID-19対策とコミュニケーションの問題」『東北大学文学研究科研究年報』70: 140-116. http://tsigeto.info/21a pp. 122-121
〔押谷 (2020) は https://www.jsph.jp/covid/files/gainen.pdf

http://hdl.handle.net/10097/00130599

「密を避けて外出しましょう!」というのは、2020年3月19日に公開された、日本政府製のキャッチコピーである。

https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/11473041/www.kantei.go.jp/jp/content/000061234.pdf

上部に「密を避けて外出しましょう!」と大書し、その下に「①換気の悪い密閉空間」「②多数が集まる密集場所」「③間近で会話や発声をする密接場面」の3つをならべている。さらにその下には「新型コロナウイルスへの対策として、クラスター (集団) の発生を防止することが重要です」「イベントや集会で3つの「密」が重ならないよう工夫しましょう」とあり、ベン図を示して「3つの条件がそろう場所がクラスター (集団) 発生のリスクが高い!」と主張している。3月23日の首相官邸メールマガジンにもこのチラシが載っている (首相官邸3月23日ML)。厚生労働省からは、同様の内容の動画も配信された (厚生労働省3月19日動画)。

 チラシが伝えるメッセージの主成分は、「外出しましょう!」である。3条件が重なる所に行くなということも言ってはいるが、全体として外出を奨励するものになっている。
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田中 重人 (2021)「「3密」概念の誕生と変遷: 日本のCOVID-19対策とコミュニケーションの問題」『東北大学文学研究科研究年報』70: 140-116. http://tsigeto.info/21a pp. 133-132
〔首相官邸3月23日ML は https://www.kantei.go.jp/jp/mail/back_number/archive/2020/back_number20200323.html
〔厚生労働省3月19日動画 は https://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg20434.html

http://hdl.handle.net/10097/00130599

堀口逸子も、このチラシについて、当時つぎのように批判していた。

例えば「3つの密を避けて外出しましょう」というポスターが作られていますね。

〔……〕

これを見て、みんな外に行きますよね。「~しましょう」という単語は、推奨する時に使うのです。「手を洗いましょう」とかですね。そしてここには「外出しましょう」と書かれています。
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岩永 直子 (2020-03-26) 「「同時に引き締めと励ましのメッセージを」 リスク・コミュニケーションの専門家が評価する日本の新型コロナ対応」(堀口逸子インタビュー) BuzzFeed News

https://www.buzzfeed.com/jp/naokoiwanaga/risk-communication-horiguchi

このチラシは3月末には削除され、「3つの密を避けましょう!」という穏当なコピーに置き換わった。しかし、3月中旬の時点では、政府は外出を奨励していたのである。

「3密」と「クラスター対策」のドグマ

さて、上の引用でもふれたように、「3条件が重なったところを避ければよい」という発想は、「COVID-19は大量感染を通じて広がるので、小規模な感染は放置してよい」というドグマに基づいている。専門家がプロパガンダに使用していた当時のグラフをみる限り、大量感染というのは、おおむね8人以上が1か所で一度に感染する、ということを指していたようである。


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新型コロナクラスター対策専門家 @ClusterJapan 2020-04-04 11:54 のツイート添付画像

https://twitter.com/ClusterJapan/status/1246269915314577408

このグラフについては https://remcat.hatenadiary.jp/entry/20200408/making でとりあげたので、そちらも参照していただきたい。現実のデータではなく、専門家が彼らの主張を正当化するために創り上げた虚構である。感染者の大部分は人にうつさないか、うつしても1-5人程度だという設定になっている。一方で、8人以上への感染が少数あることになっており、そこに「3密での伝播」という説明がある。グラフをもとに計算してみると、生じている2次感染206のうちの142 (つまり約3分の2) は「3密での伝播」である。このような理屈に基づいて、「3密」の環境で起きる大量感染さえ防げば流行は終息する、と専門家たちは当時主張していた (くわしくは 田中 重人 (2020)「感染症対策「日本モデル」を検証する: その隠された恣意性」『世界』934: 97-104 を参照)。

4月初頭までの専門家会議の状況分析と提言は、全面的にこのドグマに基づいている。「3つの密」という概念は、当初、この路線に沿って定義されていた。

「3つの条件が同時に重なる場」: これまで集団感染が確認された場に共通する「①換気の悪い密閉空間、②人が密集している、③近距離での会話や発声が行われる」という3つの条件が同時に重なった場のこと。以下「3つの密」という。
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新型コロナウイルス感染症対策専門家会議 (2020)「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」(4月1日) p. 8 脚注2

https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000617992.pdf

ちなみにこの4月1日「状況分析・提言」では、3条件がそろわなくても感染の危険があること自体は認めている。しかし、それは「3密」ではないし、避ける必要もなく、手洗いや咳エチケットに留意すればじゅうぶんだというあつかいである。

  • ジム、卓球など呼気が激しくなる室内運動の場面で集団感染が生じていることを踏まえた対応をしていただくこと。
  • こうした場所では接触感染等のリスクも高いため、「密」の状況が一つでもある場合には普段以上に手洗いや咳エチケットをはじめとした基本的な感染症対策の徹底にも留意すること。

―――――
新型コロナウイルス感染症対策専門家会議 (2020)「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」(4月1日) p. 9

https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000617992.pdf

専門家会議がこうした姿勢をとった理由は、おなじページの別の個所で示されている。

2.行動変容の必要性について
(1)「3つの密」を避けるための取組の徹底について
〇 日本では、社会・経済機能への影響を最小限としながら、感染拡大防止の効果を最大限にするため、「①クラスター(患者集団)の早期発見・早期対応」、「②患者の早期診断・重症者への集中治療の充実と医療提供体制の確保」、「③市民の行動変容」という3本柱の基本戦略に取り組んできた。
〔……〕
なかでも、「③市民の行動変容」をより一層強めていただく必要があると考えている。
―――――
新型コロナウイルス感染症対策専門家会議 (2020)「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」(4月1日) p. 9
〔強調は引用時に付け加えたもの〕

https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000617992.pdf

「社会・経済機能への影響を最小限」にしたいのだから、感染のリスクがある場所を何が何でも避ける、という行動変容では困るわけである。つまるところ、

  • 市民は感染リスクを容認して、社会・経済機能を維持するために従来通りの活動をつづけるべきである
  • ただし大量感染だけは避けること

というのが、専門家会議が実現しようとした「市民の行動変容」の具体的内容である。そのために市民に示した指針が、「3条件が同時に重なる場所の回避」だった。

定義変更と関連する議論

このような専門家会議の戦略は、2020年4月7日の緊急事態宣言およびそれにともなう「新型コロナウイルス感染症対策の基本的対処方針」改訂によって、あっけなく終了した。この「基本的対処方針」改訂を議論した基本的対処方針等諮問委員会の4月7日会議での西村康稔大臣 (政府対策本部副本部長) の締めくくりの発言が象徴的である。

国民の皆さんには、まさにもう3密が重なっているところではなくて、3密それぞれを避けるということをお願いしたいです。実はいろいろな人から、テレビでもやっていますが、ある商店街に人が多かったり、あるいは公園に若者も集まったり、確かにオープンな空間ですから、重なっていないということなのでしょうけれども、しかし、すごく近い距離で飲食を共にし、また会話をしておりますので、そういう意味では、もう3密それぞれを避けて頂きたい。
―――――
基本的対処方針等諮問委員会 2020年4月7日議事録。p. 18

https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/ful/shimon2_2.pdf

最終的に改訂された 「基本的対処方針」(2020年4月7日) の文面は、3条件が重なった場所だけに警戒対象をしぼっていた 諮問委員会原案 から、最小限の手直しで、ひとつでも条件がある場所は避けることを要請している内容として読めるように書き直されており、非常にわかりにくい。ともかくも矛盾なく読める修正文を短時間のうちに完成させた関係者の努力には、個人的には敬意を表したいのだが……それにしてもわかりにくい。単に「三つの密」といえば3条件自体を示すのに対し、「「三つの密」のある場」といえば3条件が同時に重なった場を示す、という使いわけになっているらしく、そのことに気付かないと、なかなか文意が読みとれない。また、飲食店・医療機関・高齢者施設についてだけは従来どおり3条件が重なるところを避けることのみ要求する二重基準になっている。論文 http://hdl.handle.net/10097/00130599 の3.6.3節と「基本的対処方針」を対照して、各自確認されたい。

この方針転換は、直接的には、緊急事態宣言を出すほどに感染状況が悪化していた、ということによるのだろう。つまり、「社会・経済機能への影響を最小限としながら、感染拡大防止の効果を最大限にする」などと余裕こいてられる状況ではなくなったため、社会・経済機能への致命的なダメージを覚悟して、人々に閉じ篭ってもらうことを選択したのだ、ということである。実際、接触機会を7割以上減らすことを目標にしていたぐらいであるから、もはや3密であるかどうかは関係ないわけで、とにかく他人と接触するなと要請していた。

しかし、諮問委員会の議事録をみていくと、それだけが方針転換の理由ではなかったことがわかる。大量感染は3条件がそろった環境で起きるという前提そのものにも、疑問が呈されていたのである。

3密だけではなくて、声出すようなことが危ないということが分かってきて、歌を歌うのはかなり危ないです。カラオケだけではなくて合唱団というのも出てきて、声を出すことはかなり共通項として出てきています。ライブハウスも声を出すということがかなり大きな要素なのだろうと思います。コールセンターがありましたけれども、コールセンターの人たちは朝、みんなで集まって発声練習をするらしいです。
―――――
基本的対処方針等諮問委員会 2020年3月27日議事録 p. 24 押谷仁の発言

https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/ful/shimon1_2.pdf

3密でなくても〔クラスターが〕起こり得る場合があります。例えば〔「基本的対処方針」原案の〕12ページに繁華街の接客を伴う飲食店のところがあるのですけれども、これは必ずしも3密が全部そろっていない環境だと思います。人がたくさんいない、けれども1人の人が不特定多数の人とこういう接触をするという形なのです。歌を歌うとかも、必ずしも3密がそろっていない環境でも起きています。無観客のライブハウスでも起きている
―――――
基本的対処方針等諮問委員会 2020年4月7日議事録 p. 12 押谷仁の発言
〔 〕 内は引用時に付け加えた注釈

https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/ful/shimon2_2.pdf

先にあげた西村大臣の「3密が重なっているところではなくて、3密それぞれを避けるということをお願いしたい」という発言は、専門家からのこのような意見を受けておこなわれた。緊急事態だから経済よりも感染防止を優先したいという意図もあったのだろうが、それだけではなく、3条件が重なったところだけ避ければいいので経済を回しながら感染拡大を防止する、というこれまでの目論見自体を放棄する意味もふくんでいたものと考えることができる。

修正される歴史

ところが、このような諮問委員会での議論は、基本的対処方針を最終的に決定する新型コロナウイルス感染症対策本部には伝わらなかったようだ。4月7日の諮問委員会のあとにおこなわれた第27回会議の議事概要では、つぎのようになっている。

【尾身会長】
本日の諮問委員会では、緊急事態宣言の公示案と基本的対処方針の変更案について
諮問を受け議論いたしました。〔……〕

〔……〕

まず、諮問委員会の基本的な認識について述べます。これまで実施してきた対策は間違っていません。しかし、「国民の行動変容」、「医療体制の整備」、「保健所の支援」などが徹底されていないことが、解決すべき課題だと考えられます。国が明確なメッセージを出すことにより、国民・企業が一丸となって、「接触機会の低減」に徹底的に取り組めば、事態を収束することは可能です。
 具体的には、国民の皆様には、「3つの密」や「夜の繁華街」を徹底的に避けて頂き、「外出自粛」を徹底して頂く、また、企業の皆様には、「BCP の一層の取組」や「テレワーク等」の積極的な活用を進めて頂く、こうした取組を国民が一丸となって行えば、全体として7割から8割程度の接触機会を低減することが可能ではないか
と考えています。


〔……〕


【内閣総理大臣】
〔……〕
密閉、密集、密接の3つの密を防ぐことなどによって、感染拡大を防止していく、という対応に 変わりはありません。
―――――
新型コロナウイルス感染症対策本部 第27回 (2020年4月7日) 議事概要
〔強調は、【】の発言者名部分をのぞき、引用時に付け加えたもの〕

https://www.kantei.go.jp/jp/singi/novel_coronavirus/th_siryou/gaiyou_r020407.pdf

諮問委員会での議論を伝えるはずの尾身茂・諮問委員会会長が「これまで実施してきた対策は間違っていません」と言ってしまっている。そして、総理大臣 (=対策本部長) も「対応に変わりはありません」という認識である。現実には、「3つの密」の定義を変えて従来とはちがう対応をとるよう指示するのが、ここで了承した基本的対処方針改訂の内容だったはず。しかし、議事の表面上は、従来とおなじ対応をつづけることになっているのだ。

そして、この「密閉、密集、密接の3つの密を防ぐことなどによって、感染拡大を防止していく、という対応に変わりはありません」という文言が、そのまま総理大臣から国民向けのメッセージとして出てしまう。せっかく諮問委員会でこれまでの対応のまずかった点を議論して方針転換したというのに、その議論はなかったことにされてしまった。

この尻馬に乗って、専門家会議も歴史を書き換えた。4月22日の「状況分析・提言」では「3つの密」の定義は次のようになっている。

「3つの密」:これまで集団感染が確認された場に共通する「①換気の悪い密閉空間、②人が密集している、③近距離での会話や発声が行われる」という3つの条件。これらを回避することで、感染のリスクを下げられると考えられる。
―――――
新型コロナウイルス感染症対策専門家会議 (2020)「新型コロナウイルス感染症対策の状況分析・提言」(4月22日) p. 2-3 脚注2

https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000624048.pdf

専門家会議4月22日「状況分析・提言」も、「3つの密」定義変更を踏襲している。


〔……〕


ここでは「3つの密」は「3つの条件」そのものを指す用語となっており、それらが「重なった場」のことではない。
 13ページをみると、「3つの密」の徹底的な回避の例として「人混みや近距離での会話、多数の者が集まる室内で大声を出すことや歌を避ける等」があがっている。近距離での会話はそれだけで「3つの密」に該当し、徹底的に回避しなければならない事柄になったのである。
 ところがこの文書には、このように警戒対象を変えたことに注意をうながす記述はない。それどころか、「これまでの対策では、「3つの密」を徹底して避けることを周知してきた」(2頁) とも書いてある。これは事実に反する。4月1日まで使っていた「3つの密」は、今回の「状況分析・提言」での定義とはちがうからだ。これまでの対策で避けるように周知してきたのは「3つの条件が同時に重なった場」だったはずである。
―――――
田中 重人 (2021)「「3密」概念の誕生と変遷: 日本のCOVID-19対策とコミュニケーションの問題」『東北大学文学研究科研究年報』70: 140-116. http://tsigeto.info/21a pp. 124-123

http://hdl.handle.net/10097/00130599

定義変更後の意味で「3つの密」を徹底して避けるというのであれば、

  • 屋外で少人数が会話するのもダメ
  • 公共交通機関が無言の乗客で混雑するのもダメ
  • 換気の悪い工場などで少人数が黙々と作業するのもダメ

ということになるはず。しかし、専門家会議は、こうした状況を避けろなどとはいってこなかった。せいぜい「「密」の状況が一つでもある場合には普段以上に手洗いや咳エチケットをはじめとした基本的な感染症対策の徹底」を要求していた程度であり、むしろそうした場所自体を避ける必要はない (のでリスクを容認して経済を回せ)、というメッセージを発してきた。4月22日「状況分析・提言」はそのような事実を無視し、はじめから3条件がひとつでもあれば徹底して避けるように呼び掛けてきたかのように書いている。

これ以降、専門家はしばしばメディアに登場し、過去を書き換えて自分たちの言動の正当化を図るようになった。具体的な事例は、 https://remcat.hatenadiary.jp/entry/20200719/importhttps://remcat.hatenadiary.jp/entry/20201105/bunshun を参照されたい。

以上みてきたように、3条件の重なったところだけ避ければ大量感染は起きないので、社会経済機能を維持しつつ感染拡大を防止できる、という理屈は、4月上旬には否定されていたと考えてよい。さらに、7月になると、この発想の大元であった、COVID-19は大量感染で広がるという仮説自体が放棄される。ここは論文の対象外ということになるので、詳細は

を読んでいただきたい。7月末以降、専門家たちは、小規模な感染の連鎖を止めなければ感染は終息しない、と認識をあらためた。それ自体はよかったのだが、しかしそこでも、従来の方針から転換したことを広報することはなかった。2人程度しか感染者のいない小規模な感染も「クラスター」と呼ぶように秘密裡に定義を変更 することで、従来と同様の「クラスター対策」をつづけているかのように糊塗している。

なぜ専門家は、歴史を修正してまで、「3密」として3条件がそろったところだけを避ける、あるいは「クラスター対策」として大量感染だけに対応する、という発想にこだわりつづけたのだろうか? それは、小規模な感染を放置して経済を優先するという日本政府の基本政策を正当化するのに、好都合だったからだろう。実際、このあと8月には、政府分科会の会長を務める尾身茂が、旅行を奨励する Go To トラベル政策に関して、つぎのようなことをいいはじめる。

伝播が起きるのは、夜の街やライブハウス、小劇場など、基本的には密集、密接、密閉の〈3密〉プラス〈大声〉の状況下に集中していて、新幹線や飛行機の中で感染したという例は、今のところ1件も報告がありません。

 つまり、旅行先で〈3密+大声〉の場に足を運ばない限り、旅行そのものが感染を広げることはない、と考えています。
―――――
広野 真嗣 「「帰省は慎重に判断を」コロナ分科会・尾身茂会長が独自取材で吐露した“迷いと苦心”: “政府の追認機関”との批判もあるが…」文春オンライン 2020-08-07

https://bunshun.jp/articles/-/39538?page=2

現実には飛行機の中で感染した報告があったからこの説明は虚偽である、ということは https://remcat.hatenadiary.jp/entry/20201105/bunshun で指摘したので、ここでは繰り返さない。それ以上に問題なのは、ここで「3密」と尾身がいっているのは、2020年4月6日以前の定義――つまり「密集」「密接」「密閉」の3条件が同時に重なった場――としてしか解釈しようがないということだ。もし4月7日の定義変更にしたがって、3条件のうちひとつでも存在すれば「3密」と呼ぶならば、

  • 人混みは3密
  • 隣りの人と会話すれば3密
  • 換気が悪ければ3密

ということになる。過疎地を閑散期に自家用車で黙々とめぐる一人旅といったものであれば、このような場所をすべて避けることは可能であろうが、Go To トラベルの補助対象になるのはそのような特殊な旅行ばかりではない。むしろ、実際に補助を受ける旅行者の大部分は、混雑した交通機関で移動し、人混みのなかを歩き、食事しながら同席者と語り合い、換気の悪い施設にも出入りし、ショーをみて歓声を上げるだろう。ふつうの想像力をもって解釈するかぎり、尾身のいう「3密」は、4月7日定義によるものとは考えられない。

この発言に対してそれほど批判が出なかったのは、3条件が重なる場所さえ避ければ感染拡大のリスクを抑えられる、という昨年3月のプロパガンダで形成された信念が、その後修正されないまま、人々の間に広く残存していたためであろう。あれだけ喧伝された「3密」の定義を多くの人が覚えており、その一方で、その定義やそれを支える理論がその後放棄されたことはほとんど知られていない。この信念にしたがって、「3密」の状況はめったに起きない、それさえ避ければ旅行はOKなんだな、と素直に受け取った人が多かったのではないか。

資料と記憶の共有

さて、4月30日のNHKニュース の話に戻ろう。このニュースがあらわしているのは、昨年以来おこなわれてきた専門家による議論や政府による政策の記憶が、まったく共有されていないということである。

そうなってしまった第一の原因は、上記のように、専門家と政府が、方針を変更したときにきちんとした説明をおこなわず、あたかも方針変更していないかのような説明を繰り返してきたことにある。大日本帝国には「転進」という語彙があったが、現在の日本にはそれすら存在しないので、最初から一貫した方針にしたがってCOVID-19対応にあたってきたかのような広報がずっと流れることになる。私たちは知らず知らずのうちにそれに馴らされてしまっている。

とはいえ、情報統制がおこなわれているわけでもないので、方針を変更したこと自体は記録に残り、きちんと公開されている。これらの記録を丹念に読めば、いつどのように議論が変遷してきたかをたどることができる。多くの会議は議事録がないし、会議資料にはデータ収集や分析の方法が不明のグラフが突然載っているなどの限界はあるが、その限界の範囲内では、かなりのことがわかる。

本来であれば、こういうことをまとめるのは、ジャーナリストの仕事であっただろう。実際、論文中でも引用したように、「3密」の定義変更については『読売新聞』がいちおう追って記事にしていた。そうした追跡を報道各社が継続しておこない、蓄積した知識に基づいて新しい情報を解釈して記事にしてきていれば、状況はちがっていたはずだ。しかし実際にはそうはなっていない。これは昨年来のCOVID-19問題に限った話ではなく、近年の日本ではずっとそうであった。世間の耳目を集め、連日報道されている事柄であってもそうなのである。

政策形成上重要な役割を果たした調査について、まとまった正確な情報を政府が残していないのは困ったことだ。これでは、プロセスを再現して妥当性を検証することができない。標本設計、調査票、調査員への指示、クリーニングの手続き、分析方法など、調査主体が情報を公開しなければ、問題を見つけ出して追及するのはむずかしいのである。
 そのような状況でも、公刊文献を中心とした資料の探索は、断片的な情報を再構成する方法として有効である。労働時間 (等) 総合実態調査の場合、調査票の作成、標本設計、調査実施、分析、報告という一連の過程の各所に問題がある。本稿でみてきたように、2013年調査でわかった問題の多くは、以前の調査から引き継いできたものだった。そのことは、公刊されている文献をたどるだけで、かなりの程度わかる。
―――――
田中 重人 (2019)「厚生労働省「労働時間等総合実態調査」に関する文献調査: 「前例」はいつ始まったのか」『東北大学文学研究科研究年報』68: 68-30. http://tsigeto.info/19a p. 35

http://hdl.handle.net/10097/00125161

問題の多くは、実は見えやすいところにある――公表されている資料を読めばおかしいのはすぐにわかる――ものであった。だから本来はもっと早くに顕在化していてしかるべきだったともいえる。


〔……〕


 毎月勤労統計調査は基幹統計のひとつであり、政策上重要な位置にある。多くの学者やアナリストが平均給与等のデータを分析しているし、マスメディアでの関心も高い。にもかかわらず、本稿がとりあげたような基本的な問題には誰も関心を向けてこなかったのである。公的統計に関して、あるいはより広く政策形成や意思決定に使われるデータの素性について、公表資料をきちんとチェックして問題点を摘発できる体制をつくることが、今後私たちが達成すべき目標ということになる。
―――――
田中 重人 (2020)「毎月勤労統計調査の諸問題」『東北大学文学研究科研究年報』69: 210-168. http://tsigeto.info/20a p. 171

http://hdl.handle.net/10097/00127285

昨年以来のコロナ禍は、「公表資料をきちんとチェックして問題点を摘発できる体制をつくること」の重要性を浮き彫りにした。大事な問題について記憶が共有できず、資料が公開されていても誰も読まないという現状は、集合レベルでの合理的な思考力を、私たちが失っていることを意味する。とはいえ、資料そのものが隠蔽されていて公開されない状況よりは、はるかにマシではある。また、情報通信技術の発達で、資料にアクセスするのも、読解した結果を共有するのも、以前より格段に効率よくできるようになっている。とにかく資料を読み、読み取ったことを共有して記憶する、という作業に、もっと資源を投下してもらえないものだろうか。