remcat: 研究資料集

(TANAKA Sigeto)

朝倉利奈と宋美玄:「だって――日本の原子力発電は安全なんだもん」

宋美玄 「プロデュースした下着の広告につきまして」 (2017-10-19) には、ほかにも興味深い記述がある。

〔……〕広告の内容について、理論に関わる部分は事前にチェックしていますが、口コミや効果効能に関する表現など私自身の関与していない部分もあり、昨年から何度も修正を申し入れています。ところが、一度は取り下げてもらったものの、私の認知しないうちにまた掲載されているという状態でした。

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宋 美玄 (2017-10-19)「プロデュースした下着の広告につきまして」『宋美玄オフィシャルブログ「〜オンナの健康ラボ〜」』

https://ameblo.jp/son-mihyon/entry-12320986897.html

イッティが誇大広告で「締めキュット」を売っていることは、すくなくとも1年近く前から知っていたということだ。ところが、宋美玄本人は、このことについてこれまで一度も文章を発表していない。それどころか、 https://remcat.hatenadiary.jp/entry/20170924/shime で指摘したように、「締めキュット」自体についての「宋美玄」の名前による文章がそもそも存在しないのである。

これはいかにも奇妙に見える。というのは、イッティの出していた広告というのが、相当に常軌を逸した内容だからである。

たとえば、http://www.shime-kyu.com には、下記のような漫画が載っていた。

http://web.archive.org/web/20160924051136/http://shime-kyu.com:80/

この漫画の下には「産婦人科医・医学博士 宋美玄先生」の名前・写真入りで「締めキュット 開発秘話」なる文章が載っている。

http://web.archive.org/web/20160924051136/http://shime-kyu.com:80/

「インナーで「膣トレ」?」という大見出し、「セックスレスに悩む女性が増えています」という書き出しで、セックスレス対策としての「膣トレ」用商品を開発したという説明である。(現在の 「締めキュット」販売ページ にも「開発秘話」があるが、微妙に文面が変えられている。)

さらに、『女性セブン』で2度にわたってとりあげられたことになっており、以下のような記事だという。


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※実際に『女性セブン』の過去の号 (2015年10月8日号、2015年12月24日号、2016年10月6日号) の古本を入手してみたのだが、これらの記事は発見できなかった。掲載号とページをご存知のかたがもしいらっしゃれば、お知らせいただけると幸いである。

http://web.archive.org/web/20160924051136/http://shime-kyu.com:80/

いずれも顔写真入りで、宋美玄本人が「締めキュット」をすすめる内容。2015年10月6日に載ったという右側の記事では、主婦2人との対話という設定で、つぎのように主張している。

「ユルみ」の原因は「骨盤底筋」という骨盤の底で内臓を支えている筋肉の力が弱まることにあるの。キュッと締めるには、この骨盤底筋を鍛える「膣トレ」が一番の近道。
〔……〕
〔……〕私がおすすめしているのは、下着感覚で穿ける骨盤底筋サポーター「締めキュット」。一番重要な恥骨付近をピンポイントに鍛えてくれるから、実感が得られやすいの。
〔……〕
いまの自分の体に自信が持てないなら、効果的なアイテムを使って魅力的な体を目指してみて。

http://web.archive.org/web/20160924051136/http://shime-kyu.com:80/

宋美玄 「プロデュースした下着の広告につきまして」 (2017-10-19) の内容を信じるなら、これらは、「締めキュット」を発売している会社「イッティ」が、本人の了解なく作ったものということになる。つまり、名前を勝手に使われたうえ、医学的にまちがった主張を勝手に展開されているのだ。詐欺に加担させられたうえ、医師としての名誉を傷つけられているわけである。これは、ふつうであれば、商品開発/販売に関する契約を破棄したうえ、損害賠償を請求する (状況によっては刑事告発も検討する) 案件のはず。消費者に対する責任という点から考えても、すくなくとも内容を訂正する広告を販売サイトと『女性セブン』に掲載させたうえ、本人の文章で事情を説明する準備をすべきであろう。

ところが、そのようなことは一切おこなわれなかった。今回、2017年9月以降に話題が大きくなってはじめて、とってつけたような短いブログ記事で言い訳が出てきただけである。

なぜこんなことになるのだろうか? 私もはじめはまったく理解できなかった。しかし、何度も彼女のブログ記事を読み直してみて、ちょっと事情がわかる気がしてきたのである。

この件に関しては所属事務所を通しているため、私の意志だけで対応できず、自分の言葉で説明する機会が遅くなってしまいました。

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宋 美玄 (2017-10-19)「プロデュースした下着の広告につきまして」『宋美玄オフィシャルブログ「〜オンナの健康ラボ〜」』

https://ameblo.jp/son-mihyon/entry-12320986897.html

つまり、所属事務所に逆らえないのでこうなった、と彼女は言っているのだ。

「所属事務所」というのは、株式会社「プエルタ・デル・ソル」のことのようだ。

会社目的〔……〕 3. 俳優、タレント、アーティスト、文化人の養成及びマネージメント業務
業務内容〔……〕 3. 医師(医学博士)宋美玄のマネージメント及び制作全般
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Company Info (プエルタ・デル・ソル)

http://www.puerta-ds.com/#company-info

「医師・宋美玄」として活動するかぎり、その活動内容はプエルタ・デル・ソルとの契約に縛られることになるのだろう。もちろん具体的にどんな契約が交わされているのかは私にはわからないのだが、今回のようにスポンサーの敵対的な行動によって自分の名誉が著しく傷つけられた場合であっても、それに単独で歯向かうことは許されていないようだ。

これだけなら、宋美玄個人の問題だった。しかし、そのような契約に縛られた彼女が 「ウィメンズヘルスリテラシー協会」を設立し、世論や政策を誘導しようとする行動に出ている のであるから、これはすでに個人の問題ではなく、公共の問題と考えるべきである。本件に限らず、専門家の肩書を持つ人気タレントを擁する芸能事務所が政治的な行動に出れば、非常に強力な世論操作の武器を手にすることになる。その危険性はじゅうぶんに警戒しておかなければならない。

これはどこかで聞いたような話だ。――しばらく記憶をたどって、思い出したのが、小林信彦「極東セレナーデ」(1986-1987) である。

極東セレナーデ (小林信彦コレクション)

極東セレナーデ (小林信彦コレクション)

私が前に読んだのはたぶん 新潮文庫版 で、上下巻にわかれていた。どこかの公立図書館で借りて読んだと思う。いま出ているのは昨年 フリースタイル から刊行になったもので、全434頁の分厚い1冊である。「あとがき」を斎藤美奈子が書いている。

以下は「極東セレナーデ」の内容に踏み込んだ話になる。そういうのがきらいなかたは、この記事はここでいったん中断されたい。この小説を最後まで読んでから、もどってきていただければいいだろう。

























「極東セレナーデ」は1980年代なかばに『朝日新聞』に連載された。30年前の小説でありながら、登場するモティーフは非常に現代的である。写真の違法コピーを使った雑誌で儲ける出版社、ニセの体験談を切り売りして日銭を稼ぐライター、広告代理店が展開する官製「クールジャパン」事業 (作中でそう呼ばれているわけではないが)、大衆が「自分たちでスターを作り出」すシステムを演出する業界人……。

そういう業界人であり、広告代理店「極東エージェンシー」の社員でもある氷川秋彦は、失業中の朝倉利奈を見出し、「知的アイドル」として育てようと画策する。だまされてニセの採用試験を受け、最新のショウビジネス情報を日本に送るという仕事でニューヨークに派遣された彼女は、なりゆきで地元テレビに出演し、ファッションショウのモデルになるといった経験 (すべては氷川秋彦の立てた筋書きだが) を経て東京に戻り、氷川が経営する芸能事務所「オフィス・グリフィン」に所属して「ビジネスとしてのアイドル」をはじめることになる。

チェルノブイリの原発事故が起こるのはこの後のことである (これは、新聞連載当時に同時進行していた出来事だった)。「知的アイドル」としての売り出しに成功し、第1作の主演映画が大ヒットとなった朝倉利奈のところに、この事故によっておこる不安を抑える官製キャンペーンの話が舞い込む。「だって――日本の原子力発電は安全なんだもん」というのは、このキャンペーンのために、当代随一の人気を誇る放送作家、片貝米比古が作った広告用コピーである。

「でも、にっこり笑っているだけじゃ、このポスター、パンフレットは意味がない。なんせ、〈わが国の原子力発電は安全です〉と言い切ってしまうのだからな。きみらがいうとった〈知的アイドル〉、これでなければいかん。〈知的アイドル〉だからこそ説得力があるというわけだ」
氷川は黙っている。
「もっとも、片貝米比古は、コピーを変えてしまった。〈だって――日本の原子力発電は安全なんだもん〉というのだ。〈だって――〉が効いているな。女の子の言葉にしたのは、朝倉利奈を意識してのことだ。お膳立ては出来上がっているのだよ、きみ」

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小林信彦『極東セレナーデ』(フリースタイル, 2016) 377-378ページ
※原文にあった傍点とふりがなを省略して引用

氷川はこの話を断った。しかし、このキャンペーンを推進する勢力 (下記引用中の伊吹兵助――極東エージェンシー営業局営業企画部長) にオフィス・グリフィンが乗っ取られ、朝倉利奈を原発安全キャンペーンのためのポスターとパンフレットに出演させるという契約が成立してしまう。

「しかし……」
氷川は言葉をえらびながら言う。
「原発安全キャンペーンとは、容易ならざることだ。きみは、本気で、原発が安全だと言い切れるのか」
「お言葉ですが」と伊吹は唇をかすかに歪めて、「風邪グスリの広告を作ったからといって、そのクスリで風邪が絶対に治ると、われわれ、信じているわけではないでしょう。原発も同じことで……」
「軽い風邪と原発事故をいっしょに論じられてはたまらない」
「クライアントの要望に忠実という点では、同じことです。クライアントが必要としているキャンペーンをおこなうのが、われわれの仕事でしょう。安全かどうかなんて、考える必要はないわけで」
 主要な広告代理店には、政府・官公庁関係を担当している局が、必ず、存在している。それは〈会社が一流であることを示す看板〉なのだ。〈極東エージェンシー〉では、営業局がその方面を引き受けている。

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小林信彦『極東セレナーデ』(フリースタイル, 2016) 359ページ
※原文にあったふりがなを省略して引用

芸能人が広告に出るのはクライアント(スポンサー)の利益のためである。薬の広告に出演するのがタレント医師だとしても、芸能事務所側からみればおなじことであろう。当人がその商品について専門的見地から (あるいは個人の信念に基づいて) どういう意見を持っているかは考慮する必要がない。広告の内容も、そこで当人がしゃべる台詞も、すべてはスポンサーとの契約で決まる。

「極東セレナーデ」の朝倉利奈は、このお膳立てを拒否し、スキャンダルを演出して芸能界から消えることを決意した。7か月後、すべてを失って「もとの生活」にもどった彼女が、この間の経験を記した暴露本を出す計画を友人たちと立てるところで、この小説は終わる。

「ウィメンズヘルスリテラシー協会」の宋美玄はどうするだろうか?