remcat: 研究資料集

(TANAKA Sigeto)

女性の年齢と卵子数の減少:誇張されたグラフの流通過程

図2は厚生労働省の公式ウエブサイト [16] からのコピーで、女性の年齢と体内の卵子数との関係をあらわしています。2012年度の厚生労働科学研究費補助金 [17] を使った冊子に載っているグラフで、一般向けに、特に生殖機能の男女差に注目して身体と健康について啓発する目的のものです。

図2: 年齢の効果を誇張した「卵子の数」のグラフ


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厚生労働省 [16] から複製

https://www.mhlw.go.jp/seisakunitsuite/bunya/kodomo/kodomo_kosodate/boshi-hoken/dl/gyousei-01-01.pdf

女性の年齢と卵子の数との関係をあらわすこの種のグラフは、「卵子の老化」キャンペーンが繰り返し使ってきた定番アイテムのひとつです。ほかの定番アイテムとしては、このあと検討していく「妊孕力」のグラフがあります。これらのもっともらしいグラフに基づいて、女性は年齢とともに急速に妊娠しにくくなる――だから子供を持つのは若ければ若いほどいい――とする主張が幅をきかせてきました。

このグラフは改ざんされています。グラフ下部の注釈*1 にはBakerの論文*2 に基づいたと書いてあるのですが、実際にBakerの論文に載っているグラフ (図3) とはかたちがちがいます。いちばん重要なちがいは、図2の卵子数は20代から30代にかけて減りつづけるのに対し、図3はその時期は横ばいでほぼ一定であるところです。ほかの部分も、プロット位置がほとんど全部ちがい、両者はほぼ重なりません。グラフの注釈によれば、改変は厚生労働省でおこなったのだそうです (図2)。

図2には、Baker論文を見るまでもない問題もあります。「出生」のところのフキダシに「約200万個」とあるのに、対応する縦軸の数値を見ると、100万もありません。一目であきらかな間違いについてすらチェックがかかっていないのがわかります。

図3: 女性の年齢と生殖細胞の数


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Baker [18] から複製

https://remcat.hatenadiary.jp/entry/20170322/egg2

図2に似たグラフはあちこちの出版物に出てきますが、その見た目と出典表示はさまざまです。Baker論文への参照をきちんと書いてあり、グラフもあまり変形していない場合もあります。一方で、曲線を大きく書き換えたうえ、出典をまともに示していない場合もあります。

図4は日本生殖医学会の「不妊症Q&A」ウエブサイト [22] のものです。これとおなじグラフは、同学会の編集した専門医研修用教科書 [23] や、医師向けハンドブック [24] にも出てきます (これらについては8ページで再度とりあげます)。図4においては、ピークの位置が図3よりも高いほか、胎生9ヶ月、出生時、10歳以上のすべての点が図3とちがう位置にあります。とりわけ、30歳でほとんどゼロまで減少するのが目を引きます。出典としてBakerの1963年論文 [20] があがっていますが、この論文は胎児と新生児しかあつかっていません。つまりグラフ右側は、根拠となる文献なく適当に描いた折れ線であることになります。

図4: 「卵細胞の数」の捏造グラフ


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日本生殖医学会「不妊症Q&A」[22] から複製

http://www.jsrm.or.jp/document/funinshou_qa.pdf

「卵子の老化」キャンペーンは、女性の妊孕力は非常に早くから低下しはじめる、という主張の学術的な根拠としてこれらのグラフを利用してきました。この主張を一般向けに最初に広めたのは、おそらく浅田義正の2009年の本 [25] です。浅田は、女性が12歳のときには体内に30万個の卵子があるが、毎月1000個ずつ減っていき、37歳にはゼロになる、とするモデルを提示しました。根拠となる文献は示されていません。

こうした説明が妊孕力の変化を理解する役に立つかは疑問です。図3の元になった研究 [20] [21] は卵子 (正確には卵胞) を数えただけであって、その数が多ければ妊孕力が高いなどとは主張していません。実際、図3によれば卵胞の数は10代の間に大きく減るのですが、それはヒトの生殖能力が発達する時期でもあるのです。

このたぐいの研究では対象の確保がむずかしいという事情にも注意しておきましょう。図3の6歳以上のデータは、Blockの1940年代の研究によるものです。Blockは、急死した女性のケース (事故・自殺・急病など) を精査して、6歳から44歳の43体を選び、その卵巣を対象としました [21]。年齢層が幅広いうえ、卵子 (卵胞) を数えた結果はケース間で大きくばらついています。対象者数がすくなくてばらつきが大きいため、統計的な誤差が大きいことを意識しておかねばなりません。また、単純な算術平均で推定値を求めているために結果がかたよっている疑念もあります。

後年になってこの研究成果を補完する研究も出てきています。Faddyほか [26] はBlockの数値を利用し、別の研究からのデータも加えて再分析をおこなっています。卵胞数を対数変換してから年齢の一次式で回帰する手法です。分析の結果、37.5歳までとそれ以降とでちがう式を使うモデルを採用しています。この結果は、卵胞の減少率が37歳以降で大きくなることを意味します。

Faddyほかのこの研究も、歪んだかたちで受容されてきました。図5は日本産科婦人科学会の研修プログラムで使われたもの [27] です。出典表示はないのですが、Faddyほかを引いて書かれたte Veldeほか [28] のグラフに酷似しています。Faddyほかの推定結果は37.5歳で交わる2直線からなるのに対して、図5はこまかくわかれた8つの線分からなり、ずいぶん印象がちがいます。31歳のところに「妊孕性低下」と書いてあるのは、te Veldeほか [28] によれば、次ページでとりあげるBendel & Hua [29] による恣意的な推定を参考にしたもののようです。さらに、Faddy ほかの推定は誕生時 (=0歳) からはじまるのに対し、図5は (おそらくはBakerの研究 [20] に基づいて) 胎児期まで延長されています。

図5: 「卵胞数」の合成グラフ


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小池浩司 [27] から複製

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/10706333

([ ] 内の数字は文献番号です http://tsigeto.info/18l#bib 参照。)

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「女性の年齢と卵子数の減少:誇張されたグラフの流通過程」『2010年代日本における「卵子の老化」キャンペーンと非科学的視覚表象』, 4-5ページ

*1:図2注釈の雑誌名には間違いがあります (11ページ参照)。

*2:Baker の1971年論文 [18] と1972年論文 [19] におなじグラフが載っています。これらはBakerの1963年論文 [20] とBlockの1952年論文 [21] に基づくもので、前者から胎児と新生児、後者から6歳以上のデータを使っています。図の左右で使用データがちがうので、横軸の途中に中断が入っています (図3)。なおBaker [18] [19] はデータについて説明していないため、元論文 [20] [21] にさかのぼらないと詳細はわかりません。