remcat: 研究資料集

(TANAKA Sigeto)

現代社会における統計と言説: 「少子化」をめぐって

※この文章は、2019年度の東北大学文学部の授業「人文社会総論」の準備のために2019年4月7日に書いたものの、結局使われなかったものです。ブログ掲載時 (2020年6月13日) に多少加筆しています。

※内容の一部は、2018年の科学技術社会論学会第17回年次研究大会での報告 (http://tsigeto.info/18v) および2019年の RC06-VSA International Conference での報告 (http://tsigeto.info/19x) と重複しています。また、資料の収集等について、科学研究費補助金 JP17K02069 の助成を受けました。

統計と言説

 現代社会には、その社会の状況を表す数字があふれている。そのような数字の多くは、社会における現象を数量的に明らかにすることを目的に政府や研究機関、企業などによってつくられているものであり、「統計」(statistics) と呼ばれている。
 統計によってわかるのは単なる数値に過ぎない。その数値が何を意味しているかは、それを見た人の解釈に依存する。解釈した内容は、言語を使ったコミュニケーションによって伝達されていき、多くの人に特定の解釈が広まっていく。このような、多くの人に共有された言語表現のことを「言説」(discourse) と呼ぶ。
 現代社会を分析するにあたって、「統計」と「言説」は重要な柱である。

「少子化」とは

 「少子化」ということばをとりあげてみよう。このことばは、現代日本においては社会問題の代表格のようなあつかいになっている。
 たとえば『少子化社会対策白書』には、つぎのような説明がある。

人口学の世界では、一般的に、合計特殊出生率が、人口を維持するのに必要な水準(人口置き換え水準)を相当期間下回っている状況を「少子化」と定義している。日本では、1970年代半ば以降、この「少子化現象」が続いている。
―――――
 (内閣府 (2004)『少子化社会対策白書 平成16年版』)

https://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/whitepaper/measures/w-2004/html_h/html/g1110010.html

「合計特殊出生率」は、1年間にどれくらいの数の子供が生まれてくるかという統計をもとに計算される「出生力」の指標である。「人口置き換え水準」は、どれくらいの出生力の水準であれば、親世代の人口規模と子世代の人口規模がおなじになるかを表す指標である。つまり、合計特殊出生率が人口置き換え水準を下回っているというのは、親世代の人口にくらべて、その子世代のほうがすくなくなるような状態にあり、世代を経るごとに人口が減っていくということである。
 この白書の記述だと、「少子化」はもともと人口学の用語だったように読める。しかし、実際にはそんなことはない。2002年に日本人口学会が作った『人口大事典』によると、「少子化」ということばは本来は人口学用語ではなく、1990年代になって政府が使いはじめた政策用語だという。

「少子化」あるいは「少子社会」という言葉が政府の文書で初めて使われたのは,1992年の『国民生活白書』(経済企画庁)である。そこでは,1970年代前半からの出生率低下の(主として)経済的背景を分析し,出生率低下に基づく出生数,子ども数の減少を「少子化」,子どもや若者の少ない社会を「少子社会」と呼んだ。少子化,少子社会はそれ以後,政府が出生率低下問題を取り扱う場合のキーワードとなった。
―――――
 (阿藤誠 (2002)「少子化と家族政策」日本人口学会『人口大事典』培風館)

http://tsigeto.info/remcat/quot/PAJ-2002.html

 ここであげられている『国民生活白書』の内容は以下のとおりである。

我が国の出生率は近年顕著な低下傾向を示しており、先進諸国の中でもとくにめだったものとなっている。昭和40年代以降の出生数の動向をみると、第2次ベビーブームのピークであった昭和48年の209万人を山にほぼ継続的に減少し、平成3年には122万人となっている。女性が一生のうちに生む子供の数 (正確には合計特殊出生率) も減少傾向にあり、平成元年には1.57人、平成3年には1.53人となり、「1.57ショック」といった言葉も生まれている。また、子供のいる世帯の全世帯に占める割合や子供のいる世帯の平均子供数も低下傾向にある。こうした出生率の低下やそれにともなう家庭や社会における子供数の低下傾向、すなわち少子化の動向とその影響が注目されるようになってきた。
―――――
 (経済企画庁 (1992)『国民生活白書 平成4年版』)

https://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2611509/www5.cao.go.jp/seikatsu/whitepaper/h4/wp-pl92-000h1.html

ここでは「少子化」とは「出生率の低下」やそれにともなう「家庭や社会における子供数の低下傾向」のことを指している。この時期にはまだ合計特殊出生率が人口置き換え水準を下回っている、というような人口学指標を使った定義は与えられておらず、出生率や子供数の減少を漠然と「少子化」と呼んでいた。先に見た2004年の『少子化社会対策白書』では、1970年代半ばに「少子化」が始まったことになっている。これは1974年に合計特殊出生率が人口置き換え水準を下回った(それ以来ずっと下回りつづけている)からである。これに対して、出生率や子供数が減少していくのはもっと前からの現象であり、1950-60年代を通じて子供は基本的に減り続けていた。つまり1992年『国民生活白書』の定義では、「少子化」ということばが指す時代の範囲は、いまよりずっと広かったことになる。
 1992年『国民生活白書』でのもうひとつの注目点は、子供数の低下がおこる場所として、「家庭」をあげていることだ。これは要するに、兄弟姉妹数の減少ということである。今日では「少子化」に関する言説は「未婚化」と強く結びついており、結婚せず子供も持たない人が増えた、という認識が基底にある。しかしこの当時は必ずしもそうではなかった。むしろ、昔は兄弟姉妹が4人以上いるのが当たり前だったのに、今ではせいぜい2-3人であり、ひとりっ子も多い、といった意味で「少子化」ということばが使われていたのである。
 この意味での「少子化」の用例は、1980年代初めからみられる。 1980年国会では、日本の青少年が「他人のことや公共のことには無関心」で、「心身がひ弱」で「意欲に乏しい」という意見についての政府委員の答弁のなかで、「少子化」ということばが使われている。

急激な社会構造の変化によりまして、都市化が進んできている。あるいは核家族化、少子化というような家庭の中での変化、さらには非常な経済の成長による――この経済の成長自体を否定するわけではございませんけれども、やや物質的な点に気持ちが行き過ぎているのではないか等々、いろいろな理由があろうかと思うわけでございます。
 そこで、私どもといたしましては、まず一つはできるだけ若い人たちにやはり集団的な生活になじんでもらう、そしてそのことによってやはり自分のことだけでなくて、広く全体のことを考える。あるいはできるだけ公共の方に目を向けるようにするというようなこと等の、やはり方向づけをすることが必要ではなかろうかということを強く感じております。
―――――
 (1980年4月8日 第91回国会 参議院文教委員会での望月哲太郎・文部省社会教育局長答弁)

https://kokkai.ndl.go.jp/#/detailPDF?minId=109115077X00619800408&page=2

 1980年代は、「新人類」という流行語にみられるように、従来の価値観や慣習から外れた若者の行動が注目を集めていた。この時期に、「核家族化」「都市化」などとならんで、そうした若者を生み出した社会構造の変化のひとつとして注目されていたのが「少子化」であった。昔は祖父母や兄弟姉妹、近所の人間関係の中で集団生活に必要な公共心を身につけてきたものだが、最近では核家族化・少子化・都市化の結果としてそのような訓練の場がなくなり、自己中心的で集団行動になじめない若者が増えてきたという趣旨のことが、否定的な文脈で語られるようになってくるのである。こういう意味での「少子化」の用法は、前述の国会答弁のほか、総理府『青少年白書』(1982年版) や教育社会学の教科書 (新堀・加野 1987) にもみられる。 1980年代後半には新聞でも用例があり (坂井 2002)、この言説はかなりの広がりを持っていたことがわかる。

「少子化」をめぐる言説の変遷

 20世紀後半の日本では、統計的な観点から見れば、出生率や子供数が減少をつづけてきた。こうした統計数値の変動が社会問題としてどのように認識されてきたかは、時期によっておおきくちがっている。
 1980年代までは、「少子化」によって将来の人口が減少していくという危機意識はあまり一般的でなかった。むしろ、日本は潜在的には出生力の高い社会であり、人口置き換え水準を下回る状態が長くつづくことはないと考えられていた。この時期までは、「少子化」ということばが使われるとすれば、それは兄弟姉妹数の減少による子供の成育環境の変化と、それにともなう教育上の問題をとりあげる文脈であった。
 方向が大きく変わるのは、1980年代末のバブル経済期に合計特殊出生率が今日に近い水準まで落ち込み、また未婚率が上昇して、一生結婚しない人が増加していることが認識されるようになってからである。それまで「少子化」といえば、近代化とともに出生率が低下して子供の数が減っていくという長い時間幅の話だった。それに代わって、近代化を達成したあとではじまった新しい変化としての「少子化」が認識されるようになったのである。 1992年の『国民生活白書』が「少子化」に関する特集を組んだことが、この変化を決定づけた。これ以降、このことばは、日本社会の新しい危機を象徴するキーワードとなる。
 ちなみに、「少子化」というのは、漢字圏以外の言語には翻訳しにくいことばである。日本政府が法律等を英語に訳す際は declining birthrate としており、これは「出生率低下」という意味になる。一方、人口学の研究で、出生力が人口置き換え水準を下回っていることを明示したいときは below replacement fertility のような表現が使われる。単に出生力が低いという意味では low fertility がよく使われている。
 『国民生活白書』が1992年版の特集を組むにあたって「少子化」ということばを選んだのは、おそらく、それが一般向けにわかりやすく、訴求力があると判断したからだろう。「出生率低下」「低出生力」といったことばではいかにも学術用語風であり、とっつきにくい。まして「人口置き換え水準を下回る出生力」のような長いフレーズになると、手軽に使えることばではなくなってしまう。
 しかし他方で、わかりやすくて手軽に使えるということは、さまざまな文脈で使われて意味が拡散していくということでもある。今日では、「少子化」は非常に広い範囲の社会問題を指す用語となっている。たとえば子供の数が減った結果、進学者が減って大学経営が成り立たなくなる、というような現象も「少子化」と呼ばれている。大都市への人口移動によって地方の若者がすくなくなって地域共同体が維持困難になるのも「少子化」である。
 子供を産んだり育てたりする主力は比較的若い世代の人々なので、子供をめぐる言説は若者論と結びつきやすい。そして、前述したように、「少子化」は1980年代にはすでに若者への批判的な視線をともなって使用されていたことばが転用されたものだった。その後も、「パラサイト・シングル」「草食化」など、従来とちがう若者の意識や行動様式を揶揄することばがつぎつぎと登場してきた。若者の恋愛経験が乏しくなっているとか、妊娠・出産に関する知識がない、といった言説が流行ると、政府が「婚活」「妊活」支援事業を始めたりする。
 そして、人口に関する関心の焦点が「少子化」に移ってきたことは、もうひとつの焦点であった「高齢化」問題への関心を薄める効果をもたらした。内田健は、1990年代以降の「少子高齢化論」について、1970年代までに既に進行していた高齢化をともなう人口構造変動を視野から外し、バブル経済以降の若者 (=現役世代) に責任を負わせる言説になっていると論じている。

要するに、贅沢な消費生活に若いころから慣れ親しんだ世代が結婚後も子育てのコストを回避したがることが出生率の低下を引き起こしている、というわけである。〔……〕ここでは「現在までの高齢化」が現役世代の扶養負担の増大をすでにもたらしている側面はまったく顧慮されず、「少子化」の責任がもっぱら現役世代の「わがままな」考え方に帰属させられている。
―――――
 (内田健 (2003)「「少子高齢化」言説で語られないこと」『社会と文化』1)

http://hdl.handle.net/10191/6051

まとめ

 統計というのは世の中の問題を把握したり対策を考えたりするために作られているものだから、その目的のために解釈がおこなわれ、結果が言説として流通する。数値自体はおなじであっても、解釈が違えば受け止めかたも違うだろう。現代社会にあふれる統計数値と付き合うには、数値そのものの分析が必要なのはもちろんであるが、それがどのような表現をあたえられて流通しているかについても調べる必要がある。
 そうした統計や言説に、私たちはメディアを通して日常的に触れている。私たち自身が暮らしている社会のありかたを研究するには、そのような日常的知識を手掛かりとしながら、より厳密なレベルでの統計や言説の分析を進める方法を修めることが有効である。

参考文献