remcat: 研究資料集

(TANAKA Sigeto)

1974年日本医学会シンポジウムにおける副会長 (大島研三) あいさつ

世界人口年にかこつけて日本医学会が開いたシンポジウム「初期発生」(1974年8月3-5日、箱根) での大島研三副会長 (当時) の終会あいさつ (一部)。いろいろヒドい。

挨拶
日本医学会副会長 大島研三
〔……〕
本年このような会を持ちましたのは,ことしが世界人口年であるということも1つの契機となってこのような会を持ったのでございますが,皆さま方専門家を前にして釈迦に説法ではございますが,世界の人口はきわめて速い速度で数が増大しつつある反面,質的には退化しつつあるというふうに考えざるを得ないのでございます.
 それは端的に申し上げれば,未熟児,早産児を問わず,早産したもののほとんどすべては産婦人科学の進歩で生かすと,またそこに多少の欠陥がありましても小児外科の進歩でその欠陥を取り除いてまた生かす.昔ならこれすべて死んでおった,自然淘汰されておったものがことごとく生を長らえまして,また私ども内科としては,小児科のみに見られたような諸疾患がわれわれ内科のほうにみな来てしまって,それがまた配偶者を得て子供をつくるということは,結局大きな日で見れば弱体がことごとく生存をいたしまして,それならば優良体はどうであるかと申しますると,これはむしろ社会の組織の問題でございまするが,御承知のように中学卒業生は,学力のいかんを問わず金の卵としてはなはだ高給を得る世の中であるのに反しまして,学力優秀,知能最もすぐれた者は,大学を卒業しても10年やそこらなかなか固定給が得られないという社会情勢は,勢い固定給が得られなければ配偶者を持つこともおそくなる.すなわち子孫を設けることは少ないし,そうでないほうの人はますます繁殖といいましょうか,数がふえていくということは,総体としてこれまた弱体をかかえるとともに人類の退化に非常な拍車をかけることになりつつございます.
 その上に世界の人口を調節するため受胎調節というものが行われますれば,必然的にそれは調節の普及度は知能指数とほぼ比例して普及するはずでございますし,また昨日来お話がありましたように,調節すること自体に,より優秀な子孫を設けることに対する反対の現象も十分に考慮しなければならないということでございますので,人類がより優秀な子孫を持つための本日のような研究,すなわち受精,その前およびそのあとと,人類がこの世に生を得る前後におけるいろいろな事実を深く掘り下げていきまして,そしていかにしたならばより優秀な子孫が得られるかというような基本的な研究をすることは,全く人口調節に対する両輪としてなくてはならない,きわめて必要な研究であると思っておる次第でございます.
〔……〕

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『日本医師会雑誌』74(8):944 (1975) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3356047

大島研三 (おおしま けんぞう: 1907-2008) は日本大学医学部教授、内科、特に腎臓学を専門とし、日本腎臓学会 の設立メンバーでもある。(参考: http://doi.org/10.2169/naika.91.1379 ; http://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E5%B3%B6%E7%A0%94%E4%B8%89-1060279)

「そう〔=学力優秀〕でないほうの人はますます繁殖」とか「〔受胎〕調節の普及度は知能指数とほぼ比例」とか「人類がより優秀な子孫を持つための」研究が必要とか、なかなかすごいものがある。学会シンポジウムの最後のあいさつがこの内容で、異議が出た形跡もない。これが当時 (1970年代半ば) の医学界では標準的な意見だったと考えていいのだろうか? 旧優生保護法に基づく強制不妊手術を実際におこなっていたわけでもあるし。(→ https://matome.naver.jp/odai/2143486540700807701)

仮にそうだったとして、その後、医学の世界では何らかの反省とか総括があったのだろうか? あるいは、現在でも医学界ではこういう考えかたがふつうだったりするのだろうか?